妻が倒れた日――小春日和の穏やかな日に 【2010-01-18(月) 23:55】
2010年1月15日。
小春日和の穏やかな日の昼。
最愛の妻(52歳)が風呂掃除の最中に脳出血で倒れ、救急車で運ばれました。
病院に着いたころはまだ意識があったけれど、翌16日未明、容態が悪化して、意識不明になり、緊急手術をしました。
ドクターからは最悪の場合の覚悟を示唆され、文字通り死線を彷徨う5~6時間ぐらいの手術でしたが、なんとか成功しました。
一緒に買い物をしたり、お茶を飲んだりという、なんの変哲もない日常が、どんなに幸せだったのかということを、深く実感しています。
今から思えば、共に過ごした1日1日が宝物のように感じられます。
真夏の向日葵のように明るい笑顔が、今も目の奥にしっかりと焼きついています。
今日は1月18日。妻が倒れてから4日になります。
1週間ぐらいはまだ安心できない状態なので、昼過ぎに病院から電話があったときは、心臓が止まるかと思うぐらいドキッとしました。
電話の内容は、「予後の状態が安定してきたので、集中治療室から観察病棟(集中と一般の間のような所)に移動します」ということでした。
まだ昏睡状態にあることに変わりはないけれど、ただ生きていてくれるということだけで、感謝の思いが溢れてきました。
私と4人の子どもたち(高3、高1、中1、犬2歳:全部♂)に突然訪れた大激震の余波も、多くの人の応援や激励のおかげで、少しずつ治まってきています。
心配していただいている皆さんへのご報告と、同じような病気で闘う人との情報共有、また私自身の心を落ち着けるために、このブログを始めることにしました。
* * *
この日記(1月18日付)が最初です。
「1ヵ月丸ごと表示(古い順)」で、プルダウンメニューから読みたい月を選ぶと、上から下へと日付順で表示されます。
小春日和の穏やかな日の昼。
最愛の妻(52歳)が風呂掃除の最中に脳出血で倒れ、救急車で運ばれました。
病院に着いたころはまだ意識があったけれど、翌16日未明、容態が悪化して、意識不明になり、緊急手術をしました。
ドクターからは最悪の場合の覚悟を示唆され、文字通り死線を彷徨う5~6時間ぐらいの手術でしたが、なんとか成功しました。
一緒に買い物をしたり、お茶を飲んだりという、なんの変哲もない日常が、どんなに幸せだったのかということを、深く実感しています。
今から思えば、共に過ごした1日1日が宝物のように感じられます。
真夏の向日葵のように明るい笑顔が、今も目の奥にしっかりと焼きついています。
今日は1月18日。妻が倒れてから4日になります。
1週間ぐらいはまだ安心できない状態なので、昼過ぎに病院から電話があったときは、心臓が止まるかと思うぐらいドキッとしました。
電話の内容は、「予後の状態が安定してきたので、集中治療室から観察病棟(集中と一般の間のような所)に移動します」ということでした。
まだ昏睡状態にあることに変わりはないけれど、ただ生きていてくれるということだけで、感謝の思いが溢れてきました。
私と4人の子どもたち(高3、高1、中1、犬2歳:全部♂)に突然訪れた大激震の余波も、多くの人の応援や激励のおかげで、少しずつ治まってきています。
心配していただいている皆さんへのご報告と、同じような病気で闘う人との情報共有、また私自身の心を落ち着けるために、このブログを始めることにしました。
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この日記(1月18日付)が最初です。
「1ヵ月丸ごと表示(古い順)」で、プルダウンメニューから読みたい月を選ぶと、上から下へと日付順で表示されます。
はじめに(私たちのこと)
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【2010-01-18(月) 23:55】
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Comments:(0)
このブログについて (はじめに 2) 【2010-10-30(土) 18:06】
今日は2010年10月30日。
朝から冷たい雨が降っています。
1月15日、妻が倒れてから、もう9ヶ月半が経ちました。
その4日後の1月18日から書き始めたこのブログ。
まさかこんなに続くとは思っていませんでした。
もっと早く快復すると思っていたからです。
当時52歳だった妻も、今は53歳。
まだ意識は戻っていませんが、状態は安定しています。
もちろん、回復への希望はずっと持ち続けていますが、「このままだと不幸だ」「人生真っ暗だ」とも思っていません。(そう思った時期もありました…)
今の現状も受け入れ、そこに幸せを感じられるように、4人の息子たち(1ワン含む)と力を合わせ、心を合わせ、助け合いケンカし合いながら、日々を明るく生きています。
なによりも妻本人に痛みや苦しみがないということが、私たち家族の心に平安を与えてくれています。
妻が倒れてからの激動の数ヶ月間、友人知人はもちろん、このブログ経由でも、多くの皆さんに助けていただきました。
とくに最初の3ヶ月間ぐらいは、書くことで、混乱する頭と心を落ち着けることができました。
続けてこれたのは、こんなブログでも読んでくれる人がいるという実感があったからです。
コメントをいただくことは、ほんの一言でもとても嬉しかった。
「これからの人生、なんの意味があるんだろう」――なんて落ち込んでばかりいたとき、励まされたり慰められたり涙したり笑ったり――ブログを通じて人の心のぬくもりを感じると、「ニンゲンっていいなあ」「ジンルイはまだまだ大丈夫だ!」「地球の未来はアカルイ!」なんて、思えてしまいます。
1月18日の最初の日記でも書いたように、病状報告というのがこのブログを始めた主な目的でしたが、現在は「家族の記録」「思い出話」のような内容が中心になってきています
将来、私と妻の子どもたちの子どもたちの子どもたちの、そのまた子どもたちが、「ご先祖さまは、こうして一生懸命に生きてきたんだね」――なんて語り継いでもらえたら、オモシロいなあと思ってます。
もちろん、意識が戻った妻にも読んでもらいたい。
しばらくは体が動かないだろうから、良い退屈しのぎになるはず。
妻の状態に劇的な変化がない限り、こうした傾向は続くと思います。
また、気軽にコメントください。
<追記>
夜になってもまだ冷たい雨が降り続いています。
ラッキーの散歩もずっとおあずけのまま。
いつもなら、どうしようもなく気が滅入って、妻の不在を強く意識させられてしまいがちな1日。
だけど今は、なぜかフシギな幸福感に包まれています。
みんなで大掃除をして部屋がキレイになったからだろうか。
それとも、自分のなかで何かが変りつつあるのだろうか。
今日は私たち夫婦にとって、特別な特別な日。
朝から冷たい雨が降っています。
1月15日、妻が倒れてから、もう9ヶ月半が経ちました。
その4日後の1月18日から書き始めたこのブログ。
まさかこんなに続くとは思っていませんでした。
もっと早く快復すると思っていたからです。
当時52歳だった妻も、今は53歳。
まだ意識は戻っていませんが、状態は安定しています。
もちろん、回復への希望はずっと持ち続けていますが、「このままだと不幸だ」「人生真っ暗だ」とも思っていません。(そう思った時期もありました…)
今の現状も受け入れ、そこに幸せを感じられるように、4人の息子たち(1ワン含む)と力を合わせ、心を合わせ、助け合いケンカし合いながら、日々を明るく生きています。
なによりも妻本人に痛みや苦しみがないということが、私たち家族の心に平安を与えてくれています。
妻が倒れてからの激動の数ヶ月間、友人知人はもちろん、このブログ経由でも、多くの皆さんに助けていただきました。
とくに最初の3ヶ月間ぐらいは、書くことで、混乱する頭と心を落ち着けることができました。
続けてこれたのは、こんなブログでも読んでくれる人がいるという実感があったからです。
コメントをいただくことは、ほんの一言でもとても嬉しかった。
「これからの人生、なんの意味があるんだろう」――なんて落ち込んでばかりいたとき、励まされたり慰められたり涙したり笑ったり――ブログを通じて人の心のぬくもりを感じると、「ニンゲンっていいなあ」「ジンルイはまだまだ大丈夫だ!」「地球の未来はアカルイ!」なんて、思えてしまいます。
1月18日の最初の日記でも書いたように、病状報告というのがこのブログを始めた主な目的でしたが、現在は「家族の記録」「思い出話」のような内容が中心になってきています
将来、私と妻の子どもたちの子どもたちの子どもたちの、そのまた子どもたちが、「ご先祖さまは、こうして一生懸命に生きてきたんだね」――なんて語り継いでもらえたら、オモシロいなあと思ってます。
もちろん、意識が戻った妻にも読んでもらいたい。
しばらくは体が動かないだろうから、良い退屈しのぎになるはず。
妻の状態に劇的な変化がない限り、こうした傾向は続くと思います。
また、気軽にコメントください。
<追記>
夜になってもまだ冷たい雨が降り続いています。
ラッキーの散歩もずっとおあずけのまま。
いつもなら、どうしようもなく気が滅入って、妻の不在を強く意識させられてしまいがちな1日。
だけど今は、なぜかフシギな幸福感に包まれています。
みんなで大掃除をして部屋がキレイになったからだろうか。
それとも、自分のなかで何かが変りつつあるのだろうか。
今日は私たち夫婦にとって、特別な特別な日。
はじめに(私たちのこと)
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【2010-10-30(土) 18:06】
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