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ラッキーパパ

Author:ラッキーパパ
向日葵のように明るかった妻が突然倒れました。5人の子どもたち(T:18、Y:16、K:13、ラッキー:犬1…全員♂・年齢は当時 2016年より猫1が参加)と共になんとか生きています。詳しくは「はじめに」で。

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妻の緊急手術中に長男はセンター試験 【2010-01-19(火) 23:21】
妻の意識はまだ戻ってきていません。
ただ手術直後、全力疾走のあとのように激しかった呼吸がずいぶん落ち着いて、ほとんど寝息のようになってきています。

倒れた日(15日)は、長男(高3)のセンター試験の前日でした。
我が家は、私の勝手な方針で、受験生だからといってとくに気を使うようなことはせず、難関を目指すからといっても塾にも行かせないような家庭なのだけど、妻はせめて長男と共に受験を闘いたいと言って、ここ1年間、毎朝欠かさずに弁当を作ってきました。
そして、一緒に合格発表に行き、思いっきり嬉し涙を流したいと。

その本番の前日に倒れ、さらに試験当日の朝は、生死を賭けた緊急手術中という、まるでドラマの設定のような状況にあったのです。

手術中は、私も病院で立ち会っていたので、長男は父も母もいないなか、試験場に向かいました。
ちょうど手術が終わったころ、試験開始の時刻でした。

そんな状況のなか、長男は2日間の試験を乗り切り、志望大学への挑戦権を獲得したようです。
科目と科目の間の休憩時間には、いろんな不安が押し寄せてきたけれど、試験が始まると、不思議と集中することができたと言っていました。

彼が、この第一の試練を乗り越えることができたのは、実はこの期間、昔からの友人たちによる心身ともの大きな支えがあったからでした。(続きは明日に)

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発病~急性期 | 【2010-01-19(火) 23:21】 | Comments:(0)
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駆け付けてくれた友人 【2010-01-20(水) 23:29】
長男のセンター試験の前日、妻が突然、脳出血で倒れるという大激震に呆然とする私たちを、多くの人が心身ともに支えてくれました。

15日、妻の緊急入院のメールを、何人かの知人に送ると、その夜、ずっと前から家族ぐるみで交流を深めてきたT夫妻から、「いま車で向かっているから」という電話。

彼らの住まいは熱海です。こちらは、さいたま。車で3~4時間はかかります。
さらにもう一人、船橋からもGさんが駆けつけてくれました。

そのときはまだ妻の意識もあって、死ぬの生きるのという状況ではなかったので、何もそこまでしなくてもと思ったけれど、いつも以上に賑やかになったおかげで、子供たちの不安はかなり解消され、みんな落ち着いて眠りにつくことができました。

さすがに私は不安で、なかなか寝付けずにいました。
すると、深夜の2時半ごろ、電話が鳴ったのです。
病院からの、容態急変の連絡でした。
私はすぐに車で病院に向かいました。
T夫妻は同行してくれ、Gさんは子どもたちのために家に残ってくれました。

手術のリスクに関する最悪の場合の説明を長々と受け、誓約書にサインして、手術開始を待ちました。
T夫妻のうち、奥さんが私と病院に残り、ご主人は子どもたちの朝食と長男の試験のための弁当作りのために、家に戻ることになりました。

結局、手術は4時ごろから始まり、9時過ぎまでかかりました。
その間、長男は、Tさん、Gさんの励ましと、おいしい朝食、そして気合の入った弁当をもって試験会場へと向かったのでした。

私自身、妻が死線を彷徨う手術中、すぐ傍にいながら何も助けることができないもどかしさと、不安と、長男の試験の心配などで、精神的に相当きつい状態だったけれど、T夫人が横にいてくれたおかげで、最後まで折れずに待つことができました。

もしT夫妻、Gさんが共にいてくれなかったらと思うと、ぞっとします。

発病~急性期 | 【2010-01-20(水) 23:29】 | Comments:(0)
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母親不在の誕生パーティ 【2010-01-21(木) 23:15】
「最も危険な状態からは脱出できた」と感じたのは、手術の翌日(17日・日曜日)のこと。
集中治療室で昏睡状態にはいるものの、激しかった呼吸がずいぶん静かになってきたときでした。
その日は、長男の試験2日目も終わり、ほんの少し心を落ち着けることができました。

じつは、1月13日が長男、翌14日が3男の誕生だったのですが、15、16とセンター試験なので、妻は16日の日曜日の夜に盛大に誕生パーティをやろうと計画していました。
そのためにケーキ作りのためのスポンジや生クリームなどを買い込んであったのです。

T夫妻は、その材料を使ってケーキや豪華な食事を作り、最高の誕生パーティを演出してくれました。

3男は、「母さんがこんなときだから」と、楽しみにしていたパーティをあきらめていたけれど、T夫人の「あなたのお母さんなら、きっとやってあげてほしいと思ってるよ」という言葉に安心したようです。

それはそれは、例年になく楽しい盛大なパーティでした。
あとで妻が意識を取り戻したら見せてやりたいと思い、私はその様子を動画に撮りました。
「私が意識不明の重体のときに、こんなに楽しそうに・・・」と、悔しがらせたいと。

発病~急性期 | 【2010-01-21(木) 23:15】 | Comments:(0)
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ラッキーの泣き叫ぶ声をあとに 【2010-01-23(土) 23:52】
脳出血で倒れた妻。容態は安定していますが、意識はまだ戻っていません。

早く帰ってきてという思いを抑えて、「ゆっくりでいいからね」と声をかけています。
今は4人の子どもたち(高3、高1、中1、犬2歳:全部♂)の世話と仕事に追われる毎日で、あまり病院に行く時間がないけれど、それでも、時間を作ってできるだけ会いに行っています。

倒れてから手術後数日間は、文字通り死ぬか生きるかという状態だったせいか、今はまだほとんど反応がないけれど、それでも体を触ると暖かくて、「生きてる」という実感がわき、感動がこみ上げてきます。

「愛してる」なんて、元気な頃は冗談でしか言わなかったけど、今は毎日のように耳元で語りかけています。
妻がこんなことになっても、私の彼女に対する気持ちがぜんぜん変わらない――どころか、むしろもっと深まってきていることに、自分でもうれしく感じています。

現実はタイヘンだけど、不思議と、幸せな気持ちもあります。
かすかに口が動いたとか、瞼がぴくっとしたとか、最低でも、とにかく生きているということだけでも、喜ぶことができるようになりました。
幸福や喜びに対する感度が、かなり上がっているようです。

  * * *

話は前後しますが、ここで妻が倒れた時の状況をまとめておきます。

妻が倒れたのは15日の11時半ごろ。

私は、自宅の仕事場でパソコンに向かって原稿を書いていました。
妻は私に「お風呂をキレイにするから電話が来たら出てね」と言って、浴室の掃除を始めました。
とにかくカビがキライな人で、毎日のように、お風呂全体の掃除をしていました。

それから20分ぐらいして、「パパ」という細い声が聞こえました。
どうしたのかな・・・と思っていると、5秒ぐらいしてまた「パパ・・・」と、いつもとは違う弱々しい声が。
このブログのタイトルにもなっている向日葵のように、底抜けに明るい妻の声からすると、かなり違和感がありました。
急いで浴室に行くと、倒れた妻が、起き上がろうともがいていました。

「どうした?」

「なんだかヘン。起き、上が、れない・・・」
酔っ払ったようにロレツが回らない。
おかしい!
私は、すぐに救急車を呼び、妻を抱きかかえ玄関まで連れ出しました。

「ワタシ、アタマガ、キレタノカナア・・・」と、ちょっとボケたような言い方。

「大丈夫だよ、救急車がすぐ来てくれるから」

救急車は、5分ぐらいで到着しました。

そのとき家には、私たち2人と、イヌが1匹。3人の子供たちはそれぞれ学校。

イヌの名前はラッキー。保健所から殺処分直前でボランティア団体に救出された子です。
生まれてからずっと悲惨な育ち方をしたせいか、分離症候群といって、1人になるとパニックのようになき続けてしまいます。
ウチに来て10ヶ月間、ほんの数分くらいしか留守番をさせたことがありません。

妻が目の前で倒れて救急車に乗せられているのに、「ラッキーをどうしよう・・」ということが、私の心を占める大きな問題でした。

「早く乗ってください!」救急隊員の声。

私はラッキーを柵付きのケージに入れ、救急車に同乗しました。
ラッキーの泣き叫ぶ声が聞こえました。(続きは明日)

妻と一緒に運営していたラッキーのブログ「ビビリッ子・ラッキー里親日記」は、1月11日のまま。

発病~急性期 | 【2010-01-23(土) 23:52】 | Comments:(0)
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想い出のサラ・ブライトマンを 【2010-01-24(日) 23:58】
今日は、T夫妻がまた熱海から来てくれました。
Tさんの料理の腕はお世辞抜きでかなり上位のプロ級。
子どもたちは大喜びで、病院で昏睡状態を続ける母のことをよそに、おなかいっぱい平らげました。

その夜、T夫妻と一緒に病院に行き、音楽が聞けるように、看護師さんにお願いしてiPodと小さなスピーカーを置かせてもらいました。
曲は妻の好きだったサラ・ブライトマン。
去年の春、夫婦で武道館のライブに行った時の想い出の曲をいっぱい詰めて、エンドレスで流れるように設定してきました。

  * * * (ここからは、昨日の日記からの続き)

病院での救急治療中は、不安と、きっとたいしたことないだろうという憶測が交錯。
何が起こっているのか、よく分かっていなかったような気もします。
ドラマのワンシーンを見ているようで、現実感がない。

長男と2男のケータイに何度か電話したけれど、きっと授業中なのか、出てくれず。
3男の中学校に電話して、すぐに自宅に帰るように伝えてもらう。

病院に運ばれてから30分くらいして、ようやく私はドクターに呼び出された。
「ご家族は?」と聞かれ、「子どもが3人います」というと、「すぐに呼んでください」と。
きょとんとしていると、「そういう状況であるということです」と、脅迫するような口調で急がされた。

そうこうしているうちに、やっと長男のケータイがつながり、もうすぐ3人とも、家に集まれるということになりました。
そこで私の心をよぎったのが、またラッキーのこと。
妻が危篤状態というのに、同じくらいイヌのことが心配だったのです。
というより、妻のほうは私にはどうすることもできないのだからドクターに任せるしかない。
でも、ラッキーは私がなんとか守るしかない。
ラッキーは、妻がわが子と同じように可愛がっていたイヌ。
ラッキーを守ると、妻も助かる・・・そんの訳の分からない無茶苦茶なリクツが頭の中を駆け巡り、混乱状態になっていました。
結局、ラッキーをまたケージに閉じ込め、子どもたち3人はバスに乗り、病院に来て、合流しました。

妻が一命を取りとめ、病室に運ばれているあいだ、私たちはドクターから「右の脳なので、左半身は動かなくなります。言葉は戻る可能性はあります。」というような状況説明を受けました。
MRIの画像を見ると、右の脳から出血していました。

しばらくして、やっと病室で対面することができました。

その日の朝まで、普通に元気だった母親が病院のベッドの上に横たわっている。
意識はあって、右半身は動いているけれど、目は閉じたまま。こちらの話は理解している感じだけど、言葉を話すことはできなかった。
子どもたちは、私以上に現実感がない感じ。とくに3男は、「今日の夕食はどうするの?」というようなことを言っていたし。

右手を握ると、思いのほか強く握り返してくれたので、少し安心。
長男が、「明日のテスト、がんばるよ」と言うと、より一層強く握り返したようです。
それで、「ゼッタイ合格してみせるから!」と、涙ながらに言っていました。

とにかく、長男の試験もあるし、妻のことは病院に任せて家に帰ろうということに。
それに私も、入院のための買い物をする必要がありました。
しかし、やはり一番気がかりだったのは、ラッキーのこと。

早く家に帰り、ラッキーを抱きしめてあげたい。そんな気持ちでいっぱいでした。

家に着くと、ラッキーは、硬いケージのロックを破り、脱出していました。
歯ぐきには少し血がにじんでいました。
かわいそうに。

しばらくラッキーを抱きしめ慰めたあと、私はまた買い物を済ませ、病院に行きました。
そのときは、まだ妻は私の話をしっかりと受け止め、最後にバイバイというと、右手を振ってくれたっけ。
「ああ、きっとだいじょうぶ」――帰り際、私はそう思ったのです。

しかしそれ以来、今日まで、妻とのコミュニケーションは絶たれたままになってしまいました。

発病~急性期 | 【2010-01-24(日) 23:58】 | Comments:(0)
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少し目が開いた 【2010-01-25(月) 23:55】
今日は、私の実家から母が家事の手伝いに来てくれた。
一緒に病院に行くと、妻は、10日間も頭を覆っていた包帯が取れていたせいか、ずいぶん普通に戻ってきているように見える。
妻は、私の母のことが大好きだった。母の若い頃の写真をラミネート加工して保存し、大切にしまっているほど。
いつも、会いたい会いたいと言っていた。

子どもたちが小さいころは、年に2~3回は帰省していたのに、ここ何年かは子どもたちの高校受験、大学受験と忙しく、会えずにいたのが、こんな形で再会することになるなんて・・・。

その母が顔を寄せ、話しかけると、左の目がうっすらと半開きに!
目の玉は、何かを探すかのように揺れ動いていた。
しばらくすると、その目から涙が流れ落ちた。

さらに心拍数が、いつもは90~100ぐらいなのに、130ぐらいまで上がり、さらに140を越して黄色のアラームがなるほどにまでなった。

「何かを感じている」

ゆっくり、ゆっくりだけど、良い方向に向かっている――そう信じている。

発病~急性期 | 【2010-01-25(月) 23:55】 | Comments:(6)
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暖かい言葉と冷たい言葉 【2010-01-27(水) 22:24】
妻が倒れて13日目。
血圧が124ぐらいまで下がってきた。
手術直後は、200を越すこともあり、それから180、170、160と下がり、ここ2~3日は140~150あたりで停滞していたので、これも回復の1歩といえるかもしれない。
看護師さんの話では、このレベルだと、降圧剤の量を減らすことができるということだった。

今夜は、たくさんの人がお見舞いにきてくださった。
元気なころは、お互いに行ったり来たり、とても深く暖かな交流をしていた人たち。
「顔色が良い」とか、「肌がすべすべしている」とか、「寝息が落ち着いている」とか、とにかく何か良い所を探し出して、「きっと元気になる」と励ましてくれた。

昨日の夜、妻の友人から久しぶりに電話があり、妻が倒れたということを話したら、相当ショックを受けたようなので、「大丈夫ですよ、きっと良くなると思ってますから」と言ったら、「いや、脳出血だと意識が戻っても、ダメみたいです。知ってる人は、もう誰が誰だかよく分からない感じだったから・・・」と言われた。

もちろん彼女には毛頭わる気などないし、ショックと心配のあまり、思わず出てしまった言葉なんだと思うけど、とにかく早く電話を切ってしまいたくなった。

自分もこんなふうに知らず知らずのうちに人を傷付けてこなかったろうか・・・そんなことを反省させられた。

発病~急性期 | 【2010-01-27(水) 22:24】 | Comments:(3)
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痛みへの反応 【2010-01-28(木) 22:59】
妻が倒れてから14日目。
もう2週間が経過した。

仕事の合間を縫って、母を連れて病院に行ったのは夕方のわずかな時間。
まだ何も反応してはくれないけれど、それでも暖かな手に触れ、穏やかな寝息を聞くだけで、勇気や希望がわいてくる。

病室にいると、担当医が来て、次のような状況を説明してくれた。
・全体的に落ち着いてきている。
・開きっぱなしだった瞳孔が少しずつ小さくなってきている。
 「それは良いことなのでしょうか?」と聞いたら、
 「ええ、良い兆候です」という答え。

そして、「ちょっとごめんね、痛いことするよ」と妻に声をかけ、ドクターは妻の指先を軽くつねった。
すると、痛そうに身をよじる。

痛みはちゃんと感じているということを、ドクターは、わざわざ私たちに教えてくれたんだと思う。

妻にとっては苦痛以外のなにものでもないだろうけれど、私たちには、とても嬉しい心遣いだった。

痛みに身をよじる妻を見て親子で喜ぶなんて、もし彼女に意識があったら、きっと怒っているんだろうなあ・・・。

発病~急性期 | 【2010-01-28(木) 22:59】 | Comments:(0)
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手術後2回目のCT 【2010-01-29(金) 21:27】
今日は手術後2回目のCTの結果を聞いてきた。
1週間前と比べて、白く映っていた出血の痕が薄くなっていて、順調に推移しているということだった。

しかし新たな問題も。
血尿が出ていた。尿からは細菌が見つかったらしい。

感染症のリスクは聞いてはいたけれど、また少し呼吸が荒くなってしまった妻を見ていると、かわいそうでならない。

脳から来る最悪の事態は避けられたけれど、感染症でそうなる可能性はないとはいえない・・・というようなことを言われ、かなり落ち込んでしまった。

抗生物質を投与しても、耐性菌が出てくることもあるらしいし。

ああ、いくらか強くなったとは思っても、こんなちょっとしたマイナスなことを聞くだけで、すぐに心が折れそうになってしまう自分が情けない。

家族が重い病気になったり、離れ離れになったり、命を落としたり・・・みんなどうやってこんなにつらい状況を乗り越えてきたんだろうと思う。

でも、いま家事を手伝ってくれている母に、昔の苦しかった頃の話を聞いたら、いま私の置かれた状況は、ずっと幸せに感じられた。

母は偉大です。

そういえば、妻だって、3児+1ワンの母だった。きっとこの試練を乗り越えてくれる。

発病~急性期 | 【2010-01-29(金) 21:27】 | Comments:(6)
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血尿の沈静化でひと安心 【2010-01-30(土) 21:35】
昨日の昼から始まった血尿は、今日の夕方行った時には、だいぶ色も薄くなり、沈静化のほうに向かっているようです。
熱も37.2度と微熱まで下がっています。
呼吸も落ち着き、ひらすら眠り続けている感じでした。ほっとしました。

妻は、とにかく眠ることが大好きだったので、今は思いっきり寝貯めをしているんだろうね。
いったい、どんな夢を見ているのだろう。
あるいは、漠然とした意識があるのだけど、ただ反応ができないだけなのかもしれない。
あるいは、何か不思議な体験をしているのかもしれない。

妻の耳元に語りかけながら、人のココロって何だろう。脳と心の関係は? 魂とか霊とかは――というようなことを考えていた。

妻はよく「私はものすごくカミサマに愛されているの」と言っていた。
「なんで?」と聞くと、
「あなたと一緒になれたから」と答えたっけ。

おのろけてスイマセン。でもほんとのことです。
私たちは、ほんとうに仲の良い夫婦だった。夫婦仲が良いので、親子も自然と仲が良くなる。
子どもたちは、中高生になった今でも、私たち夫婦の間に割り込んできて一緒に寝たがった。
母親のいない今でも子どもたち3人が私の部屋に集まって、じゃれあったり、いろんな話をしていく。

ちょっとだらしのない父親だけど、妻に愛されているというだけで、息子たちは父を好きになってくれるらしい。
子どもに好かれたい、尊敬してもらいたいのなら、子どもに媚びるより、まず妻を愛し、妻に愛される夫になることを考えたほうがいいんじゃないかなあというのが、私の実感です。

家事の手伝いをしてくれている実家の母が、「いまどきこんなに素直で明るい子どもたちは見たことがない」と驚いていた。

この素直さや明るさは私にはないものばかり。全て妻から受け継いだものに違いない。

そんな子どもたちの様子を、毎日毎日、心を尽くして、妻に伝えています。

発病~急性期 | 【2010-01-30(土) 21:35】 | Comments:(8)
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1月の終わりに 【2010-01-31(日) 22:51】
妻が倒れて17日目。今日で長かった1月も終わり。
血尿もほとんどなく、呼吸もすっかり穏やかになっていた。
昼、母と一緒に病院に行った時は、またうっすらと左の目を開き、しきりに口を動かそうとしていた。

さらに夜、私一人で行った時は、目の開き方が、薄目ではなく、半開きというほどまでになった。
口の動きも頻繁になり、あきらかに何かを言おうとしているように感じられた。

「何か言いたいと思うけど、今はまだ声が出ないだろうから、焦らないで」と話しかけると、目から涙が流れた。
ただの偶然かもしれないけど、私には、とても力強いメッセージとして伝わってきた。

  * * *

妻は結婚前、体が弱かったせいもあり、健康管理に対する意識は相当なものがあった。
とくに、体を冷やさないこと、薄めの味付けにすること、化学合成されたものはできるだけ摂らないということを心がけていた。
たとえば「いつまでも腐らないのはおかしい」と言って、マーガリンを使うことを頑なに拒み続けた。
そのおかげか、結婚してから20年間、ずっと元気で暮らしてきた。

ただ、昨年の年末から倒れる直前まで、私のほうの仕事が立て込みはじめ、夜遅くまでパソコンに向かうことが多くなり、妻は私の体のことばかり心配していた。私が倒れるんじゃないかという不安がいつもあったようだ。
自分だけ早く寝るのが申し訳ないと言って、無理に起きていようとしたこともあった。

さらに、長男の大学受験が近づき、母としてのプレッシャーもあったに違いない。(父親のほうは受験生をほったらかし状態だったので、なおさら)

家族の健康に気を配るあまり、自分の体に無理をさせていたんだろうと思う。
もともと食器洗いや掃除など、みんな一緒に手伝う家族だったけれど、仕事や受験勉強を優先させたかったのか、ここ最近、妻は、できるだけ自分でやろうとしていたような気がする。

発病~急性期 | 【2010-01-31(日) 22:51】 | Comments:(2)
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3週間前の今日でした 【2010-02-05(金) 21:18】
今日は、元看護師のKさんが来てくださいました。
妻が姉のように慕っていた人です。
(じつは、そういう方は、たくさんいます。妻は、いろんな方と姉妹のような関係になってしまう傾向がありました。よく言えば、すぐ人を好きになる。わるく言えば、ちょっとナレナレしい?)

Kさんは、リハビリをやりやすくするために、今のうちからやっておくべきマッサージ法などを教えてくださいました。
それと、着替えやタオル類のたたみ方、ロッカーの使い方なども。
病院のことなど何も知らない私には、とてもありがたかったです。

昨日から個室で落ち着いたせいか、あるいは音楽の効果か、あるいは皆さんの祈りが届いたのか、今日の妻は、今にも話し出しそうな感じで、口を動かしていました。
半開きの目の動きも、頻繁になってきています。
少しずつだけど、確実に良くなっていると感じています。

  * * *

3週間前の今日、金曜日。
朝、3人の子どもたちを中学、高校に送り出した後、夫婦とラッキー(イヌ)で、ゆっくりと朝ごはんを食べました。

「今日も良い天気ね」
「そうだね」

いつもの平穏な1日が始まろうとしていました。

10時ごろ。
私がパソコンに向かって仕事をしていると、妻はいつものようにコーヒーの豆挽きをもってきて、「ゴリゴリして」と。
古い手動タイプで、それなりに力がいるため、豆挽きはいつも私の役目でした。

漂うコーヒーの香り。
気持ちよさそうに毛布に横たわるラッキー。
ずうっと続いてきた当たり前の光景。

(今から思えば、なんて贅沢で幸せな時間だったんだろうと思う・・・)

「仕事は忙しいの?」
「まあまあってとこ」
「あとでお買い物いっしょに行ってほしいんだけど」
「いいよ」

肉や魚や野菜・・・品質や値段をコマメにチェックしていて、それぞれ買う店や曜日が違っていました。

「夕食は何がいい?」
「なんでもいいよ」

いつも答えは同じ。
なのに、妻は必ず聞いてきました。

その前の日と、その前の前の日と、同じような1日。
そしてそれは、明日も同じように続くと、私も、きっと妻も、そう信じていました。

11時ごろ。
私は、ラッキーをさんぽに連れ出しました。
いつものコースをまわって30分ぐらいで帰宅。

「ただいま!」

「お帰り、ラッキー!」

「はいオミヤゲ」とウンチの入った袋を渡すと、

「おお、今日もいっぱいしたねえ、いい子いい子」と、頬をすり寄せる妻。

12時ちょっと前。
「お風呂掃除するから、電話来たらお願いね」と言って、妻は浴室に。

私は、パソコンに向かい仕事を続けました。
ラッキーは、私のイスの横で、のんびりとひなたぼっこ。

100205a.jpg

「今日はあったかいね、ラッキー。夕方、またさんぽ行こうね」

100205b.jpg

それから20分ぐらいしたら、「パパ・・・パパ・・・」と、いつになく妻の細く弱々しい声が浴室のほうから聞こえてきました。

この後のことは、1月23日の記事に書いたとおりです。

発病~急性期 | 【2010-02-05(金) 21:18】 | Comments:(0)
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