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ラッキーパパ

Author:ラッキーパパ
向日葵のように明るかった妻が突然倒れました。5人の子どもたち(T:18、Y:16、K:13、ラッキー:犬1…全員♂・年齢は当時 2016年より猫1が参加)と共になんとか生きています。詳しくは「はじめに」で。

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共時性(シンクロニシティ)がやってくるとき 【2010-02-03(水) 22:56】
妻が倒れてから20日目。
いまだ意識不明のなか、妻はどんな夢を見ているのだろう。

意識が戻った人たちのブログを見ると、いろいろ不思議な夢を見たという話が書いてあった。

妻は、神秘的な話が好きな人だったけれど、ホラーや暴力系の怖い話は全くダメだった。
(それを受け継いだのが2男。「ドラえもん」でさえ、ちょっと怖い話のときは、毛布をかぶって耳を塞いでいたっけ。それも10歳ぐらいになってから。4つ下の弟は笑いながら見ているのに・・・)

ああ、願わくは妻の夢が、楽しいものでありますように。

今日、病院に行ったのは夕方6時半ごろ。
1Fからエレベーターに乗ろうとしたら、Kさんとばったり会った。
つい数日前にも来ていただいたのに、また足を運んでくださったらしい。
東京をはさんで反対側だから、そんなに近くはないのに。

病室に行くと、新しいキレイな花が置いてあった。(その前にあった花もKさんが置いてくださったものだった)
薬品の匂いが漂う病室のなかで、かすかに生命の香りが感じられた。
どうか、この香りやKさんの思いが妻に伝わりますように。

私は、実家の母に思いっきり自慢した。
「妻は、こういう本当の友だちをつくってきたんだよ」と。

それにしても、もし1分、時間がズレていたら、お会いすることはなかったろうと思う。
私と母が待つエレベーターで、まるで計算したかのようにKさんは降りてきたのだった。
なぜ、カミサマはこういうことを仕組まれるのだろう。

昔、共時性(シンクロニシティ)という言葉に強い興味をもったことがあった。
それは、偶然の一致のように思えることが、意味を持ってつながっていくというようなこと。
すべての出来事になんらかの意味があり、とくに人と人との出会いには、偶然なんて、ないということ。

今回の妻の病気も、いろいろなメッセージを私と子どもたちにもたらしてくれた。

長男は「母さんが倒れなければ、父さんが倒れていた」と言った。
「母さんが倒れたから、父さんは、母さんのために自分の健康を強く意識してくれるようになった」と。

雑想 | 【2010-02-03(水) 22:56】 | Comments:(5)
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桜のラベルのワイン 【2010-03-21(日) 23:07】
今日は、春日部のKさんが来てくださった。
カイロプラクティックの先生なので、本格的なマッサージをしていただいた。
妻が心から尊敬していた人。
(前にも書いたけれど、幸せなことに、妻にはそういう人がたくさんいます。)

     *

先日、我が家に来られたMさんから、「桜のラベルのワイン」が届いた。
母が、「お酒はだめだけど、ワインなら少しは飲めるんです」と言っていたことへの心遣い。

このワインにまつわる哀しくも美しいエピソードを、Mさんが教えてくれた。涙が出た。
多くの人が、多くのつらい状況を乗り越えて、花を咲かせ、散り、次の世代がまた花を咲かせ、愛と命をつないできた。
我が家族も、その大いなる流れのひとつ。

与えられた時間のなかで、哀しさも、楽しさも、不安も、希望も、全部引き受けて、思いっきり明るく、美しく、咲いてみたい。

     *

(以下、Mさんのメールより)

  ウィンダウリー・エステート
  ウッドブロック サクラ・シラーズ 2007

1944年、第二次世界大戦中、最大の脱走劇となった「カウラ・ブレイクアウト」(カウラ大脱走事件)。
カウラの地で捕虜になっていた日本兵545人が大脱走したこの事件の背景には、「生きて虜囚の辱めを受けず」の精神を教え込まれていた日本人の精神を、収容所の看守たちが理解していなかったことから、この悲しい事件は起きてしまいました。

日本兵捕虜達は、「万歳」を叫びながら、マシンガンの雨に倒れ、200名以上もの犠牲者を出しました。
その後、脱走が成功した捕虜も10日以内に全員捕えられましたが、脱走中、日本人指導者に「脱走してもオーストラリア市民に、決して危害を加えるような事はするな」と厳命されていた為、オーストラリアの市民に死者やけが人は一人も出ませんでした。

カウラの人々はこの事件で命を落としてしまった日本兵を手厚く葬り(その誇り高き意志を尊重して)、日本との友好関係を深めるために、本格的な“日本庭園”や“日本文化センター”を作りました。
(この土地は今では日本に寄贈され、オーストラリアの中での日本の土地だそうです!)

さらには日本人墓地から日本庭園までの5kmの間に、約2000本の桜を植え、毎年、桜祭り(10月頃)が盛大に行われるようになったのです。
国際理解を象徴する並木道としての “ 桜 ”。
この「カウラ」の地で、桜にまつわる逸話をモチーフにしたのが、この「サクラ・シラーズ」のラベルなのです。

雑想 | 【2010-03-21(日) 23:07】 | Comments:(2)
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ブログを続ける意味 【2010-03-29(月) 23:58】
妻が倒れた3日後から、毎日ずっと更新してきたブログ。
1日の句読点を打つように、ほぼ日課のようになっていた。
1日のアクセスが1000件を越えることもあり、たくさんの人に読んでいただいていることも励みになっている。

だけど先週の土曜日、朝から深夜まで大阪取材だったため、左メニューのカレンダーの中に初めて記事ナシの日ができた。
そしたら、いつものナマケ癖が再発したのか、昨日もサボり、さらに今日もなぜかすっかり忘れてしまっていた。
長男と話していて、ふと気がついて、また書き始めた次第であります。

義務のようになっていたわけではないけれど、読まれることを意識しているので、独り言のように気楽なわけでもない。

もともとブログを始めた頃は、急性期ということもあり、妻の病状を心配してくださっている方々に報告するという目的があった。

それが2ヶ月を過ぎたあたりからは、安定期(慢性期)に入ってきて病状の変化もゆるやかになり、報告という意味合いが薄くなってきている。

それにかわって、このブログを続ける主な動機となっているのが、せっかくこうした極限状態を家族として経験しているのだから、その記録を残して、これから生まれてくるであろう子どもの子どもたち、そしてさらにその先の子どもたちへと伝えたいということ。

何十年、何百年か後、親が子へ、「ご先祖様は、こんなふうに愛し合い、支えあい、一生懸命に生きていたんだよ」と語り継いでくれたら、とても嬉しいと思う。
(もちろん、今この時に希望を失っているというわけではないので、どうか誤解なきよう・・・)

まあ、このブログという形式や、それがのっかっているメディアが、そんなに長く続くことはないだろうけれど、そのときはいずれ何らかの形に変換してでも、家族の歴史として残しておきたい。

もちろん、妻が目覚めたときに、読ませたいという思いもある。
しばらくは、体が思うように動かないだろうから、とても面白い退屈しのぎになるに違いない。

当面の課題だった転院先への道筋が、少しずつ見え始めています。

雑想 | 【2010-03-29(月) 23:58】 | Comments:(5)
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「わが家の歴史」 【2010-04-21(水) 18:45】
「わが家の歴史」(TVドラマ)を観た。
  ※ネットでも観られます。→フジTVオンデマンド

脚本は三谷幸喜。
三谷作品(映画)は、「ラヂオの時間」から「ザ・マジックアワー」まで全部妻と一緒に観た(TVでだけど)。

三谷作品全般に流れる肯定的なメッセージ。笑いをこらえられない絶妙なユーモア。
そうした全部が絡み合って、見終わった後、なんだか幸せな気持ちになれる感じが、妻も私も大好きだった。

「わが家の歴史」、今回は独りでの鑑賞だったけれど、それでもとても心が明るくなった。
日本っていい国だなあと、思った。
妻と一緒に観たかったけれど、そうしたらきっと笑ったり泣いたり(それも大声で)、タイヘンだったと思う。

実体験版「わが家の歴史・闘病編」は、TVドラマや映画にはならないけれど、今もこうして妻と私と子どもたちとラッキーとで、毎日リアルにつくられている。
脚本も監督も主役も私たち自身。
物理的な状況や制約はなかなか変えられなくても、それをどうとらえるかは、私たちの心の思いのままだ。

いろんな人がいろんなことを言うけれど、私たちは私たちの家族の歴史を、しっかりと生きていきたい。

明日はいよいよ転院の日。
「わが家の歴史・闘病編」も、第2章に入るのかもしれない。

雑想 | 【2010-04-21(水) 18:45】 | Comments:(4)
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「氷の塊」の正体 【2010-05-18(火) 22:56】
4月の初めごろの記事で書いた「みぞおちのあたりの氷の塊」の正体は、どうやら胆石らしい。

「氷の塊」は1週間ほど前にも出現し、さらには昨日も出た。

痛みがピークに達したときは、それこそ死ぬほどの苦しみに襲われる。

脂汗が流れ出て、水をかぶったようになる。

意識が遠のいていく。

遠のく意識のなかで、妻の病気がこんな苦しみを伴うものでなくて良かったと思った。

この激痛、2年ほど前に1度経験したことがあったけれど、妻が倒れてからの4ヵ月間で月に1度になり、さらには週に1度になった。

子どもたちや友人たちの強い勧め(というより強制)で、ようやく病院に行き診てもらった。

エコー検査の結果、胆嚢の中に石が3~4個。

できるだけ早いうちに摘出手術をしたほうが良いということになり、明日、また手術のための精密検査が行われることになった。

胆嚢を摘出することになるけれど、たいした後遺症もなく、普通に生活できるらしい。

まあ、妻が経験した手術に比べれば、蚊に刺されたようなものだろうけれど、それでも5日間ぐらいの入院が必要となる。

しばらくは妻に会いに行けなくなってしまうかもしれない。

いずれにしても、「氷の塊」の原因がはっきりして、少し安心できた。

それにしても、今年は年初めからいろんな波が押し寄せてくる。

そんな中にあって、不思議と子どもたちは仲良くケンカしながら、ジャレ合いながら、平穏に、明るく過ごしている。

激痛に身をよじる父を見ても、その基本的なスタンスは変わらない。

現実が分かっていないのか、根っから楽天的なのか、必死で希望を持ち続けようとしているのか。

いずれにしても、私自身は、その明るい雰囲気にいつも救われている。

死ぬほどの苦しみの中にあっても、なんとかなると思えてくる。

雑想 | 【2010-05-18(火) 22:56】 | Comments:(4)
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妻のベッドの横で仕事を 【2010-07-06(火) 22:28】
2男が定期テストで昼に帰宅したので、午後からノートPCを持って病院に行き、妻のベッドの横で仕事をした。

病室は、温度が完全に管理されているので、とても快適な仕事空間だ。

看護師さんや介護師さんが行ったり来たり。適度なノイズがあり、不思議と仕事もはかどる。

モニターを見ながらキーボードを打っていると、1時間ぐらいはあっという間に過ぎてしまう。

ふと、妻のほうに目を向けると、じっとこっちを見ている。(というより、もともと目が合う位置に私がいるということなのだけれど)

もしかしたら、ずっと見てくれていたんだろうか。

元気な頃は、いろいろ話かけてきたりして、なかなか仕事に集中できないことが多かった。

どうでもいいような世間話をうっとうしく感じることもあったけれど、いま思えば、それさえもが夢のような幸せな時間だったんだと思い出される。

なんだかんだいっても、こうして妻の傍で、妻に見守られながら仕事ができるということは、これもまた幸せなことに違いないんだ。

雑想 | 【2010-07-06(火) 22:28】 | Comments:(0)
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「火の鳥」のように 【2010-09-04(土) 23:12】
今日は本当は病院に行く日だったのだけれど、友人とクラシックコンサートに行ってきた。

仕事関係で付き合いのあったオーケストラで、いつも招待チケットを送ってきてくれる。

妻が元気な頃は、いつも一緒に聴きに行っていたのに、倒れてからは、いつもチケットを無駄にしてしまっていた。

だけど今日は、大好きなストラヴィンスキー。(ちなみに、私のケータイの着信音は、ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」)

どうしても行きたかった。
場所は、去年の秋ごろ妻と行ったコンサートホール。

「火の鳥」は、CDやiTunesで何度も聴いてきた組曲だけど、生で聴くのは初めてのこと。

素晴らしかった。音の広がりや、強弱のレンジがぜんぜん違って聞こえた。

やはり音楽は(とくにクラシックは)生で聴くことが大切だと思った。

ちょうど100年前に作られた曲だけど、子どもたちがいつも聴いているポップな曲よりも、はるかに斬新で新鮮で大胆でカッコイイ。
「そんなの比べるほうがどうかしてる」と、長男は言っていたけれど。

「鳥」をテーマにした曲として併せて演奏された現代日本人作曲家・吉松隆の「鳥・三部作」も良かった。
どちらかというと、ジャズやいにしえのプログレが好きなんだけど、クラシックも凄いなあと思った。

そういえば吉松隆さん、ネットで調べて初めて知ったけれど、プログレの巨人・ELPの「タルカス」をオーケストラ用に編曲してCDを出したりしている。

昨日、自曲の演奏の前にステージに登り指揮者と数分間トークをしていたけど、話の内容も面白かった。

またいつか妻と一緒に聴きに行きたい。
今日の「火の鳥」のように、きっと蘇ってくれると信じている。

明日、今日の感動を伝えに妻の所に行ってきます。

雑想 | 【2010-09-04(土) 23:12】 | Comments:(0)
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9.11 【2010-09-11(土) 23:56】
9月も中旬だというのに、凄まじい暑さ。
それでも、空には秋らしい雲が見えはじめている。

100911.jpg

妻は、髪を切ってもらったせいか、とてもスッキリしていた。
手術のために丸坊主にしてから、約8ヶ月もの間ずっと伸ばし放題だったから、見た目的にはこれでまた元の顔に近づいてきた。
むしろ若返って来ているような感じさえある。

     *

先日、病院内で運動会が行われたらしい。
たしか掲示板に貼紙がしてあったけれど、妻には関係のないことだと思っていた。

ところがベッド横のアルバムを見ると、会場になっている広い部屋で看護師さんに車イスを押してもらっている妻の写真があった。

周りにはたくさんの人。
ニコニコ笑いながら車イスを押す看護師さん。
妻は、眼をパッチリ開いている。
何か競技に参加しているんだろうか・・・

     *

子どもたちの運動会では、妻はいつも大声で声援を送っていた。
手作りの弁当。
私はいつも記録(ビデオ)係だった。

保育園から、小学校、中学校、高校と、子どもたちが成長するなかで、何度も何度も見てきた運動会。

もうすぐ中2の3男の体育祭が開かれる。
今年は、私が1人で行くことになりそうだ。

 「ビデオに撮って、あとで見せてあげるからね。」

     *

今日は9.11。
9年前の今夜。
めったに見ないテレビを付けたら、青空を背景にして、2の超高層ビルのうちの1つから、黒い煙が出ていた。

初めは映画か何かのシーンだと思ったけれど、画面に映し出される映像が、何の演出もない、やけにむき出しな感じがして、めまいがするような違和感があった。

航空機が激突したらしいというナレーションを聞いても、まだあまり現実感がなかった。
もし、それが事実だとしても、セスナ機かなんかの操縦ミスのような気がしていた。
ビルがあまりに高く細長く見えたせいで、その破損した面積の縮尺を錯覚していたのだと思う。

妻が風呂からあがってテレビを見始めた頃、もう1つのビルにも航空機が突っ込み、炎上したのだった。

たくさんの人が、深い哀しみに包まれた1日。

雑想 | 【2010-09-11(土) 23:56】 | Comments:(4)
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贈り物 【2010-09-17(金) 16:48】
10年ほど昔、勤めていた会社の人たちから、贈り物が届いた。

キレイな和菓子と、新鮮な梨。

20100917a.jpg

もっとたくさんあったのだけれど、撮影しようと思ったら、もうあっという間になくなっていた。
こういう和菓子は、もっとしみじみと食べるものなのに・・・
(Oさん、Hさん、ごちそうさまでした。)

かつて同じ夢を見た会社の旧友たち。
短い間だったけれど、妻も経理として働いたことがあった。

社員みんなが、家族のように交流していた。
懐かしい想い出がよみがえる。

     *

今日は、妻の父からもお米が届いた。

20100917b.jpg

結婚してから20年間、ずっと送ってくれている。

極上の産地直送(というより、”作った人直送”)の新潟コシヒカリ(玄米)。

子どもたちは、この米を食べて大きくなった。

玄米で食べたい私たち夫婦と、白米が食べたい子どもたち(とくに3男)の綱引きの結果、いつも5分づきで炊いていた。

そのために、家庭用の精米機も購入。

米を研ぐ直前に精米する。

おかずは、ワンパターンの肉野菜炒めや、チャーハン、そして冷凍食品になったけれど、ご飯の味は、今もずっと変わらない。

雑想 | 【2010-09-17(金) 16:48】 | Comments:(0)
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ふるさとの秋の味 【2010-10-13(水) 21:13】
山形の実家から、採れたての松茸が届いた。

101013.jpg

一つ違いの私の弟が、朝、まだ暗いうちから山に登り、親兄弟にも内緒と言われる秘密の場所に行って採ってきた秋の味。そしてふるさとの味。

松茸が採れたら、たいていはその日のうちに、あちこちに送ってしまう。

我が家の優先順位は何番目ぐらいだろうか。不作だった去年は届かなかったけれど、今年は猛暑のおかげで大豊作らしい。

妻がいたら、踊りながら喜んでいたはずの贈り物だ。

毎年、実家の母に聞いて、とびきりおいしい松茸ご飯を作ってくれた。
ふるさとのコシヒカリ+ふるさとの松茸という、最高の秋の味を楽しむことができた。

今年はとりあえずホイル焼きにして、そのままみんなで食べてみた。

やっぱりおいしかった。子どもたちも大喜び。

感謝!

雑想 | 【2010-10-13(水) 21:13】 | Comments:(4)
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ワインの語らい 【2010-10-26(火) 14:11】
昨日の夜は、親しい人たちと、ワインを飲みながらの団欒のひと時を過ごした。

以前は、ほぼ毎月集まっていたけれど、去年の暮れ、妻と一緒に参加したのを最後に、私はずっと欠席していた。

あれから10ヵ月ぶりの集い。とても楽しかった。

極上のワインと、おいしい手料理。

サッカーの話や、日本文化論、教育論、妖怪やお化けの棲家、新しく購入した車、日本トイレ事情、国際情勢など、いろんなテーマをめぐって、自由に語り合う。

頷いたり反論したり、食べたり飲んだりしながら、それぞれへの理解を深め、違いも認め合う。

ギリギリまで話し込むので、帰りはいつも終電。

日をまたいでしまったけれど、少し雨が降っていたから長男が車で迎えに来てくれた。

こんなに遅くなっても、ラッキーはきっちりと大はしゃぎで迎えてくれる。

ごちそうさまでした。

雑想 | 【2010-10-26(火) 14:11】 | Comments:(2)
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助けられて生きている 【2010-11-05(金) 17:31】
文化の日のおととい、熱海からT夫妻が来てくれた。

妻が倒れたその日に、熱海から駆けつけてくれた人。

妻も子どもたちも、大好きな人。

まずは、長男+3男と一緒に病院へ。

2男は、部活(空手)。新宿の有名な道場に行き、他流試合をこなしてきたらしい。

見るからに穏やかで、優しく、内股で、ちょっとナヨッとした感じなのに、空手は結構強いというウワサ。(情報源は本人だから、真偽はアヤシイ)

今度、試合を見に行こうと思う。

ちなみに、私は、空手部に入ることに大賛成。

妻は、小反対だった。入ってからも、練習はいいけれど、防具を付けずに殴りあうので、試合に出ることには、大反対だった。

妻が倒れてからは、部活のコーチのほうが気を使ってケガのリスクが伴う試合には出させなかったけれど、出たいのなら積極的に行けばいい、という私の意見に自信を得て、はじめて本格的な大会に出ることになった。

おとといは、その最終仕上げの練習。どうしても休めない。

     *

病院から帰ったTさんは、「肌がキレイでどんどん若返っている感じ。目もずっと開いててくれた」と言ってくれた。

夜は、みんなで「わいず(お好み焼き屋)」で宴会。大きな仕事の打ち上げも兼ねていた。

妻が倒れる前に大手企業から請け負っていた大きな専門書の制作で、かなり高度で面倒なデザイン作業を、T夫妻がすべて引き受けてくれた。

家庭も仕事も大混乱のときに、家庭面でも仕事面でも、とてもとても助けてくれた人たち。

今回のイベントは、そもそも、ちょっと疲れ気味の父親を、頼りになるT夫妻を呼んで、みんなで癒そうと、長男が企画したもの。

もちろん、長男本人も、会いたがっていた。3ヶ月間ぐらい会わないと、「しばらく会ってないなあ」と禁断症状が出てくるようだ。

おいしいお好み焼きを堪能した後は、自宅で2次会。なんだかんだと深夜3時過ぎまで話し込んでしまった。

妻のことや、子どもたちを、今後どうしていくかなど、楽しく、真剣に、語り合った。

ほとんど家族同然の感覚で。

とってもありがたい。心強い。

     *

明日は、新潟(妻の実家)から、おじいちゃんおばあちゃんたちが来てくれる。

「いろいろ持っていくから」と電話があった。

寺泊という有名な漁港の近くなので、いつも海産物をどっさり持って来てくれる。

そのうえ農家だから、コメや野菜も。

さらに、おばあちゃん特製の、炊き込みご飯や煮物や漬物も。

みんなに愛され、守られて、助けられて、生きている。



雑想 | 【2010-11-05(金) 17:31】 | Comments:(5)
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妻が残してくれた宝物 【2011-01-09(日) 10:36】
妻が倒れて意識を失ってから、もうすぐ1年が経とうとしている。
この期間、私たちは多くの人から助けられ、励まされてきた。
それとは別に、健康保険や医療保険のありがたさも、深く実感させられている。

最初の大手術から、気管切開や胃ろう手術、各種検査、それに長期にわたる入院。今までかかった医療費は、きっと恐ろしい金額になっていると思う。
倒れた直後は、命のことだけが気がかりでお金のことは何も考えていなかったけれど、一命を取り留めたことに安堵したあたりからは、膨大になるであろう医療費のことで心が押しつぶされそうになった。

しかし「高額療養費制度」というのがあり、健康保険料を納めてさえいれば、1ヶ月の医療費がどんなにかかっても、一定額(8万円程度)に抑えられるということを聞いて、どんなにホッとしたか分からない。

5時間を越える大手術は何百万円かかったか分からないけれど、その制度のおかげで、最初の月に支払ったのは十数万円で済んだ。(差額ベッド代など、保険適用外のものは実費となる)

それまでは妻も私も病院嫌いで、子どもたちが高熱を出しても、めったに病院には行かなかったから、相当な額になる健康保険料を払い続けることは、なんだかバカバカしく感じていたけれど、今はしっかりと払い続けていて本当に良かったと思っている。

     *

それから民間の医療・生命保険。
以前は大手の生保に入っていたけれど、数年前から、妻はTさんに紹介された新しいタイプの保険に切り換えていた。
掛け金は以前の半額ぐらいになって、家計的には大助かりだったらしい。
そういうことはすべて妻まかせだったので、どのような内容の保険に入っていたのか、妻が倒れるまで私はほとんど知らなかった。

ただ、加入するときに、「私が死んでも、母子家庭には手厚い保護があるし、子どもたちも苦学してあなたを助けるだろうから、そんなに大きな保障はいらないと思う。それよりも、あなたに何かあったら私は仕事も何も手につかなくなって経済的に悲惨なことになるから、むしろそのときの保障は大きくしておいて欲しい」と、そんなことを言った記憶がある。
半分ジョーダンで、半分ホンネだった。

妻が倒れてから医療保障請求のために加入済みの保険内容を調べてみると、ありがたいことに私と妻の保障内容は全く同じになっていた。
妻は実質的には専業主婦のような立場なので、常識的に考えれば、私が死んだ場合の保障のほうを手厚くしておくのが普通だろうし、保険の営業の人もそういう方向で話を進めるのだと思う。

だけど妻は、私の言ったことをしっかりと受け止めてくれていたのだ。
きっと「自分にもしものことがあったら、この人は落ち込んで何もできなくなる。立ち直るのに相当な時間がかかる」と考えていたのだと思う。

その保障のおかげで、私たち家族は、突然訪れ今なお続く困難のなかにあっても、少なくとも経済的には大きく救われることになった。
もしそれがなかったら、今ごろ私は心身ともに相当なムリを強いられ、共倒れになっていた可能性も少なくないと思う。

10年ほど前、私は仕事で生命保険に関するガイドブックの原稿を書いたことがあったため、貯蓄型の保険といっても、それは保険と貯蓄が一緒になっているだけで、結局保険の部分は掛け捨てになっているということを知っていたから、私たちが入っている保険はすべて、いわゆる「掛け捨て」のものにしていた。

だけど、それは決して「掛け捨て」ではなかったということを、いまあらためて思わされる。必ずしもそれは、こうして給付を受けることになったからということではない。

「掛け捨て」というと、なんだかお金をドブにでも捨てるような、損をしたようなニュアンスがあるけれど、実際は、そのおかげで困っている人が助けられているわけだし、絶望が希望に変ったり、立ち直るまでの準備期間が与えられていると考えれば、それは決してムダでも、捨て金でも、もったいなくもないはず。
私たちが支払っていた保険金は、私たちに何もなかったころは、どこかで困っている人の保障に回っていたということになるのだから。

そう考えると、「掛け捨て」というより、「掛け合い」とか「掛け助け」とでも呼ぶべきものなのかもしれない。
そして実際にいま私たち家族は、多くの人が掛け続けてくれている保険金で、心身ともに救われている。

そうした保険に入っていてくれた妻にも、紹介してくれたTさんにも感謝している。
医療や福祉、保険制度が充実した日本という国で暮らせること、また多くの素晴らしい友人や親族に恵まれたこと、そして、こうした経験を通じて、そのありがたさを実感できたことを感謝している。

子どもたちや、素晴らしい友人関係や、思い出や、妻はいろんな宝物を残してくれたけれど、この保険もその一つだと思う。給付を受ける毎に、妻の心遣いがひしひしと伝わってくる。

「あなたが入っていた保険のおかげで、お金のことはぜんぜん心配いらない。ゆっくりゆっくり療養して大丈夫。でも、そろそろ起きてほしいな。けっこう上達した料理の腕前を見せたいし」――今日も妻に話しかけた。


雑想 | 【2011-01-09(日) 10:36】 | Comments:(8)
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日本中が悲しみに覆われた日 【2011-03-12(土) 22:56】
昨日、1ヶ月ぶりの日記をUPして、何人かの知人に長男の受験結果をお知らせするメールをお送りしたその直後に、大地震がおきたのだった。

日本全国が悲しみに覆われている。

被災された皆さん、どんな言葉も慰めにはならないかもしれないけれど、どうか希望を失わず、がんばってほしい。

日本人は、こんな状況でも、みんな助け合って、必ず復興できると信じたい。

グラッと来たとき、私は、たまたま家にいた2男と庭に出て揺れが引くのをまった。

大きな怪物が、地球を揺さぶっているかのような激しい振動だった。

それでも我が家(埼玉)は、皿が2~3枚割れた程度で済んだけれど、実家のほう(新潟と山形)が心配だった。

そして何よりも不安だったのが、宮城にいる従兄弟のこと。

新潟と山形は、夜になってようやく電話が通じて安否を確認できたけれど、宮城のほうはまだ音信不通のまま。

テレビは、時間が経つにつれて拡大、深刻化する被害状況を映し出す。

自分の家が流されて行くのを呆然と見送る人。

崩壊した家を前に、家族の名を呼びながら泣き崩れる人。

家も故郷も思い出も、何もかも真っ黒な水が飲み込んでいく。

キレイに咲いた庭の鉢植えも、洗ったばかりのシャツも、夕食のための食材も、思い出がいっぱい詰まったアルバムも、流れてしまった…。

昨日の昼までは、ほとんどの人にとって普通の日常だったのに、あっという間に、世界が大きく変動してしまった。

それは去年の1月、妻が突然倒れたときに私自身が感じたことだった。
(もちろん、ほんの個人的なことではあったけれど…。その時の心境は、2010年5月25日の日記に書いている)

     *

今日は、病院に行って地震の被害がないかどうか確かめてきた。

とくに問題はなかったようで、ひと安心。

いま日本が置かれている大変な状況について、外を散歩をしながら語り合った。

ただの偶然か、あるいは花粉症のせいか、それとも何か感じたのか、妻は左の目から涙を流した。

私も泣いた。

     *

明日は、長男の後期試験。

2時間遅れだけど、予定通り実施される。

「去年も今年も、どうしていつもこうなんだろう」と長男は言った。

彼にとって最初の大学受験本番であったセンター試験の前日に、母親が倒れたのだった。

そして生死をかけた大手術の真っ最中に、長男は試験会場に向かった。

今年。長男は、日本中が不安と悲しみに沈むなか、彼にとって最後の大学受験に向かう。

「なんだか、受験がものすごく小さなことに感じるんだよね」と長男。

「そうか…。たしかに去年も今年も、ものすごいことが起こっている真っ最中だね」

「大学に合格することが、こんな大変な状況に立ち向かうのに何の意味があるのか、いくら考えても分からないけれど、それでも、一生懸命がんばってくるよ」

雑想 | 【2011-03-12(土) 22:56】 | Comments:(7)
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つながっているがゆえの痛み 【2011-06-10(金) 23:08】
岩手で震災に遭われたYさんから、このブログ宛にメールを頂きました。

その日――Yさんのご主人は、海の近くの職場にいて津波に飲み込まれてしまったそうです。
ところが3日後、泥と油にまみれてボロボロの服を着たご主人が突然帰ってきたということ。
いくつかの幸運と、周囲の人の協力によって、奇跡的に助かったのだそうです。

Yさんのメールに、次のような文章がありました。
     *
 今は、普通に生活が出来ていること、
 電気はスイッチを入れればついてくれること、
 毎日お風呂に入れること、
 料理が出来ること、
 温かいご飯を食べれること、
 子供たちが大声で喧嘩してる声を聞くこと、
 旦那がただいまと帰ってきてくれること、
 全てに意味があって、全ては当たり前ではなくて、
 この日常がどんなに幸せなのか、
 こんなに実感したことはなかったです。
     *
普通の日常が、どんなに奇跡的で、ありがたくて、尊いものであるか、私も妻が倒れてから身にしみて感じています。

幸せは、どこか空の彼方にではなく、いまこの瞬間も、大切な家族関係のなかに、人と人との触れ合いのなかに、感謝や喜びを感じることのできる人の心のなかにあるものだということ。

いろいろ苦しい時期もあったけれど、それでも、私自身がそれを受け入れるならば、そこに既に幸せはあったんだと、妻と暮らした日々のどの場面を思い出しても、今はそう感じられます。

今回の震災で、あまりにも多くの方が家族や友人を亡くされました。
哀しみ苦しみは今なお深く、これからもずっと続くのかもしれません。

だけど、その苦しみは、死によって人間関係が切れたからではなく、むしろまだ心がつながっているからこそのものだと、夫を病気で亡くされた方のブログに書いてありました。
愛や思い出や心と心がつながっていて、その結び目のところが切ないのだと。

普段は、つながっていることが当たり前になっていて、あまり気に留められないけれど、死や大病、大事故、大震災など、大きな衝撃に遭遇したときに、その結び目が強く意識されるようになるのかもしれません。

人と人とが出会い、結ばれるということは、喜びや幸せはもちろん、その”痛み”をも共有するということなんだと、その覚悟をすることなんだと、思います。


雑想 | 【2011-06-10(金) 23:08】 | Comments:(2)
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「廻らない寿司」2 【2011-06-12(日) 23:44】
去年の暮れにも行った「廻らないお寿司屋さん」に、家族みんなで行ってきた。

去年と同じく、妻の大親友・Kさんのご招待。

家族だけのときは、子どもたちの注文動向を監視しなくていいように、だいたい100円均一の回転寿司専門だけど、Kさん行き着けの店は、味も、値段も、ちょっと(いや、かなり)グレードが高い。

みんなでカウンターに並んで座り、それぞれマグロ、アジ、カツオと、板前さん相手に好き勝手に注文していた。

私とKさんが妻の思い出話などをしているスキには、大トロだとか、ウニだとか、そんなものまで、注文していた。

とくに、「寿司命」な3男にとっては天国のような一日。

さらに食後は、ハーゲンダッツを買って、Kさん宅でデザートタイム。

本当に本当にごちそうさまでした。

ラッキーは、可愛そうに独りでお留守番。

夜、帰ったときは、飛び掛ってきて、大歓迎してくれた。

ご褒美のオヤツをあっという間に平らげると、当然のごとく玄関の所に待機して、お散歩を要求。

東京横断の旅で少し疲れていたけれど、その信じきってこちらを見つめるつぶらな瞳には、とても耐え切れず、休むまもなく、夜の散歩へ。

世の中は、まだまだ揺れ動いているような感じだけど、なんだかとってもホッとする1日でした。

雑想 | 【2011-06-12(日) 23:44】 | Comments:(2)
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ワインの夕べ(というより深夜・・・) 【2011-06-21(火) 13:42】
先日、Tさん宅で月例になっている「ワインの夕べ」にお呼びいただいたときのこと。

序・破・急のように流れのある3本のワインと、T夫人の手料理を味わいながら、近所の出来事から、日本の行く末、世界の動き、そして人生の深遠まで、深夜まで自由に語り合うひととき。

教員のお勤め帰りのT家のご子息が合流すると、俄然、レッズと教育問題が話の中心になる。

心通える人たちとであれば、どんな酒でもおいしいものだけれど、でもやっぱり、そういう雰囲気にあった酒というものがあるような気がする。

とくにワインは、料理や、話題や、音楽や、人間関係など、シチュエーションを選ぶお酒のような気がする。
(というようなことを、いつも「ワインの夕べ(深夜?)」で感じてきた)

その集いの影の主役ともいえるワインは、いつもソムリエレベルの知識をもつMさん持ち込みのもの。

コストパフォーマンスのツボをおさえた、絶妙なチョイス。

以前は、なぜ飲んだこともないのに、味が分かるのだろうと思ったけれど、ブドウの産地や、製法、年代で、おおまかな想像ができてしまうんだということも、Mさんの話をいろいろ聞いて知ることができた。

私といえば、妻が元気なころは、何か料理を作って2人で参加することがあったけれど、今回はまたデパ地下頼りになってしまった。

わが家の食卓に並ぶのは、たいてい近所のスーパーで1個50円、それもさらに時間が経って少し安くなったコロッケなのだけれど、今回はデパ地下の一番高いコロッケと、やっぱり自分ではまず買わないだろうと思う高めのチーズを手土産に参加させていただいた。

それでも、受ける恵みに比べれば、たかが知れているけれど。

さて、そのときに、私たち夫婦とT夫妻の共通の友人であるKさん(子どもたちに「廻らない寿司」をご馳走してくれた人)が、日本酒でもワインでも辛口のしか飲まないということ、そして渋くておいしいワインがあったら教えて欲しいと言っていたことをMさんに話した。

そしたら、今日、1本のボトルが届いた。
見るからに、深い味わいな感じの赤ワイン。
110621f.jpg

渋目でおいしいワインに関するいろんな解説もメールで送っていただいた。

110621b.jpg
とりあえず、クンクンして、自分とはあまり関係なさそうだと悟ったラッキー。


↓コチラは、山形の母が子どもたちにと送ってくれたバームクーヘンとアイス。
110621a.jpg

妻が元気な頃は、しょっちゅう来客のある家だったけれど、今は完全に輸出超過(訪問してご馳走になるばかり)になってしまっている。



雑想 | 【2011-06-21(火) 13:42】 | Comments:(3)
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光速を超えて届くモノ 【2011-10-06(木) 13:04】
ちょっと前、素粒子のニュートリノの速度が光より速かったという実験結果がニュースになった。

もしそれが事実なら、天動説が地動説に転換したぐらいの大発見になる可能性が高い。

こういう話、もともと私が大好きだったから、子どもたちが小さいころから科学雑誌を読ませたりして、いつもギロンしてきた。

科学的な真理がどうかということは、ちょっと置いておいて、「物」や「事実」の見え方は、見る位置や時間によって変わってくるんだよ、ということを伝えたかった。

ニュートリノは、そのほとんどが地球を素通りしてしまう。
だからもしニュートリノのカラダをもった人がいたら、君たちどころか、地球だって存在しないように見えるはず――今回はそんな話で盛り上がった。

     *

2男のYが小4のころ。
理科のテストに次のような問題があった。

 Q)星座は時間がたつと位置は変わるが星の並び方は変わらない(○か×か)

Yの答えは○。それで採点は正解。
ほかの問題もすべて正解で、見事100点!
Yも成長したもんだ――と思った。

でも、ちょっと待てよ。
時間が経っても星の並び方が変わらないというのはオカシイんじゃない?

星座を構成する星は、それぞれ地球からの距離が全く違うし、それぞれ独自に運動を続けている。
さらに宇宙全体が膨張し、星々はそれぞれ遠ざかっている。
当然、何万年という長い時間がたてば、星座の形は変わっていく。

もっと厳密にいえば、1秒後でも、あるいは見る位置が1センチ横にズレただけでも、計測できないだけで、星座の形は完全に同じではないはず。

――と、そんなことを言って、100点のテストにケチを付けたら、Yは「パパのいうことも分かるけど、今の学校では、これでいいの!」と言った。

もし、この問題で×と解答したら、テスト的には間違いになるんだろうなあ。

常識からかけ離れた視点だけど、でもこんな些細な違いでも、それを無視していたら、相対性理論も量子論も出てこなかったに違いない。

社会に適応する知識を教えるべきか、あるいは真理を追究することを教えるべきか、どっちも大切だとは思うけど、どちらが楽しいかといえば、やっぱり後者のほう。

前者は学校に任せて、私はいつも後者的発想を子供たちにぶつけてきた。

「1+1は2にならないことのほうが多いよ」とかね。

そんなことを言ってたら子供たちが混乱してしまうよ…と、妻はいつも苦笑しながら父子の会話を見ていた。

たしかにそんなシンパイもないわけではないけれど、思考パターンが固まっていくのを見ていると、どうしても壊してやりたくて仕方がない。

そういえばYは、11-1が10になるのは分かるけど、2-1=1というのが、なかなか理解できなかった。

「2には1がないから引けないよ」と言ってた。

なるほど、たしかにそうだよな。なんで2から1が引けるんだろ――とヘンにナットクしてしまう私に、妻は「ちゃんと教えてね!」と、マジメな顔で太いクギを刺したっけ。

そんな妻のおかげで、空想科学少年だった2男も、父の混乱教育の波をうまく乗り切ってリッパに育ちました。

ただ、ビミョーに(いやかなり)フシギなところがいまだ残ってはいるけれど。

雑想 | 【2011-10-06(木) 13:04】 | Comments:(2)
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ハングリーであれ、愚かであれ 【2011-10-08(土) 11:44】
「スティーブ・ジョブズが死んだね」

長男(T)が言った。

その昔、小学生の頃からパソコン自作が趣味だったTの目標はビル・ゲイツ。

だけど、予備校入学お祝い(?)に買ったMACを使うようになってからは、そのターゲットはスティーブに変わったらしい。

「なんでスティーブはあんなすごいことやれたと思う?」

私の質問にTは答えた。

「どっか、壊れたところがあったから」

「まあ、それもあるかもしれないけど、だけど壊れた人のほとんどは、そのまま沈んでいくだろうから、壊れた人がみんなすごいことがやれると思うのは大間違い・・・」

――このあと、なんだかんだとギロンが続いたけれど、長くなるので省略。

「どうしたら、スティーブを越えられるかなあ」とT。

「彼は、”ハングリーであれ、愚かであれ”って言ってるね。それから、”明日死ぬかもしれないということを意識しながら、今日を生きろ”というようなことも。そうすれば、何が大切か、何を優先すべきかが分かるって」

「たしかに」

「だけど、それだと、彼のようにはなれるかもしれないけれど、彼を越えられるかどうかは、分からないね。それと”愚かであれ”を、どう解釈するかも、難しい」

「まあ、オレはオレのやり方を見つけるよ」

スティーブが創業したアップル社のWEBサイトには、どこか、求道者、哲学者のような風貌の彼の肖像が掲げられている。

ところで妻は、Tがどんな大人になっていくのか、とても楽しみにしていた。

大学1年。週2回ほど、スーツを着て塾講師のアルバイトをしている。

今日はTのスーツ姿の写真、もう一度妻に見せてあげよう。

雑想 | 【2011-10-08(土) 11:44】 | Comments:(0)
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2012年の始まり 【2012-01-01(日) 22:25】
もう過ぎ去った2011年は、多くの人にとって、とてもつらい1年でした。

だけど同時に、日本人としての誇りや、世界中の人々との連帯も感じることができた年でもありました。

瓦礫の山に降り積もる雪の中、整然と並んで食料を分け合う人たち。

炊き立ての暖かなご飯を配る自衛隊員。
彼ら自身が食べていたのは、冷たい缶詰だった。

簡易設営のお風呂も被災者のためのもの。
隊員たちはタオルで体を拭くだけ。

身を挺して原発事故の拡大を阻止した人たち。
泥だらけのイヌやネコたちを探して、泥だらけになって救出している人たち。

全国から駆けつけたボランティア。

全世界から寄せられた義援金。

現実は、まだまだ厳しい状況が続いてはいるけれど、それでもみんな希望をもって前に進もうとしています。

人間ってすごいなあ、と思いました。

これから366日間続く2012年。

龍が天に昇るがごとく、きっと奇跡の復興の年として歴史に刻まれると信じています。

みなさまにとって、どうか幸多き1年でありますように。

雑想 | 【2012-01-01(日) 22:25】 | Comments:(4)
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引越し前後のアレコレ その1 【2012-04-07(土) 18:54】
引越し、なんとか無事に終わりました。

ダンボールも片付き、少し落ち着いてきたので、またブログを再開します。

     *

新居は、家賃が2万円も高くなるのにも関わらず、少し狭くなってしまうため、できるだけ物を捨てて行こうということで、みんなで「断捨離」を実行。

いざ始めてみると、いちばん困ったのは妻の衣類や靴、バッグなど。

初めて会った時に着ていたコートや、いつも部屋着にしていたジーンズ、お出かけ用のオシャレ着、パジャマ、下着類、ハンカチ・・・みんな丁寧に折りたたまれてタンスや衣類ケースにしまってある。

とにかく物を大切にする人だったから、もう使わないだろうという物まで、いろいろ残っている。

衣類や靴を捨てるときは、「長い間ありがとさん」と声をかけるような人。

「これ、どうしようかなあ…」というような物は捨てるのが断捨離の基本だけど、「これ、捨てたら悲しむだろうなあ・・・」と、妻の顔が思い浮かんで、なかなか決断できない。

悩んでいるうちに、どんどん時間が過ぎて行ってしまう。

衣類や靴は妻の物がいちばん多いから、それをなんとかしないことには、あまり身軽になることはできない。

でも、もし妻が怒ったり悲しんだりするとしたら、それは意識が戻ったときのことだから、むしろ大喜びすべきことじゃないか・・・そう考えると、心が軽くなって、思い切って断捨離を決行することができた。

いつか目を覚ました妻に、「どうしてあれを捨てたのよ!」と、思いっ切り怒られてみたい。

まあ、どうしても深い思い出とつながっている物は捨て切れずに少しだけ(いや、どっさりと)残してしまったけれど。

     *

引越しの前日は、女性スタッフが3人来て、家中のありとあらゆる物を梱包。

予想したよりずっと若いオネエサンたちだったので、2男3男は、恥ずかしがってひたすら隠れていた。

数年間過ごしたいろんな思い出が、何もかもダンボールの立方体の中に詰め込まれていく。

妻のお気に入りのコーヒーカップも、キッチンにずっとかけたままになっていた妻のエプロンも、コルクボードに貼ったままの妻が書いたメモも。

ラッキーは、家の中の突然の変化に少し戸惑い気味だったけれど、幸い天気が良かったのでずっと庭で遊ばせることができたせいか、思いのほか落ち着いていてくれた。

いざとなればペットホテルに預けることも考えたけれど、なんとか大丈夫そう。

さてさて、引越し当日のドタバタは、また次回に。


雑想 | 【2012-04-07(土) 18:54】 | Comments:(0)
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引越し前後のアレコレ その2 【2012-04-11(水) 22:57】
引越し当日。ダンボールや家具がどんどん運ばれていく。

車で15分位の距離だから、1台のトラックでピストン輸送するという段取りだった。

子どもたちは引越し先で荷物の行き先の指示、私とラッキーは元の家に残って後片付け担当。

午後3時頃には、すべての荷物が運び出され、元の家は空っぽになった。

広々とした空間をラッキーが走り回る。

何もないせいか、やけに声が反響する。

ふと、4年前、妻と2人でこの家を見に来た時の光景が目に浮かんだ。

あの時も同じように、空っぽだった。

「ここにソファを置いて、テーブルはこっちね。収納がいっぱいあって、とっても良い感じ」

妻は、少し興奮気味に、家の中を見て回っていた。

これからの数年間の家族の生活を思い描いていた。

それが、たった1年半で終わってしまうなんて、あの時はとても想像できなかった。

     *

新居は、当然のことながら妻との思い出が全くない家だけど、なぜか、あちこちに妻の雰囲気が感じられる。

まあよく考えてみれば、たとえ家が変わっても、テーブルやソファや食器棚など、なにもかも妻が揃え使ってきたものに囲まれているのだから、それは当たり前のことなのかもしれない。

子どもたちは、とりあえず家が新しくなることを歓迎している様子。

彼らにとって、故郷のイメージはどんな感じになるんだろうって、思った。


雑想 | 【2012-04-11(水) 22:57】 | Comments:(2)
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クラシックのゲリラ?ライブ 【2012-08-23(木) 18:37】
ある指揮者の著書の編集に携わった縁で、ずっとコンサートの招待チケットを送っていただいている。

妻が元気だったころは、いつも一緒に聴きに行っていた。

私は、どちらかというと器楽曲が好きだけれど、妻は、オペラや合唱のような声楽が好きだった。

仕事の関係で、どうすれば子どもたちがクラシックに親しんでくれるようになるか、なんて企画を考えたりすることもある。

先日、YOUTUBEでオモシロイ試みをしているクラシックのミュージシャンたちを見つけた。


  ※できれば、大きな画面で、高音質でお聴きください。

こういうゲリラなら、あっちこっちに出没してほしい。

なんなら、ウチの近くにも・・・。

とにかく音楽の力って、すごいなあと思いました。

     *

長男は、今日からD通のインターンプログラムで鎌倉合宿。

いろんな企画を考えさせられて、キツイけどオモシロイって言ってました。


「ラッキーの里親日記」のほうにも、Goodな写真をのっけてます)


雑想 | 【2012-08-23(木) 18:37】 | Comments:(5)
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日韓関係についてのあれこれ 【2012-08-25(土) 23:49】
なにかと騒がしい日韓関係。

私は仕事で韓国には10回ぐらいは行っているし、妻も何度か行っている。

2人とも韓国人の知り合いがいるし、キムチもクッパもピビンバも大好きだった。

だけど、なぜか韓流ドラマ、妻は一切見なかった。

「冬のソナタ」が大流行したころ、周りの人はみんな見てるというのに。

しかも、妻はああいう感じのドラマが大好きなはずなのに。

ヨン様に熱中する奥さんたちを、妻はあきれて眺めていた。

もしドラマを見始めたら、自分も惹かれてしまうと、心のどこかで思っていた?

それで、一切見なかったのかも・・・。

ところで最近、子どもたちの間でも、日韓の問題が話題になる。

韓国に対して、ちょっと厳しい見方をしているのが2男。

入試とはあまり関係のない東アジアの近代史は、かなり詳しい。

それに対して、大学で韓国からの留学生と交流のある長男は、比較的、寛容に受け止めている。

政治と個人は別、というスタンスだ。

ときどき、この2人の間で、議論になる。

3男は、政治や歴史などのあまり込み入った話は別として、

最近の韓国の反日的なパフォーマンスにはカチンと来ているようす。

ただの友だちなら、ケンカして絶交ということもありだけど、兄弟だったら、そう簡単には離れられない。

どんなにいやでも、兄弟関係はついてまわる。

それと同じように、日韓も、何十万年も経って大陸移動でもしないかぎり、隣同士の関係は変わらない。

いろいろいやなことがあっても、結局、なんだかんだと付き合っていくしかない。

「父さんはどうなの?」と聞く子どもたちに、

「イヤでもなんでも、結構きついケンカしても、君たち兄弟は、なんだかんだとやってきたじゃない。その方法、教えてあげたら?」と、ちょっと、はぐらかすように答えてしまった。

気持ち的には、今は私も2男の立場に近いかもしれないけれど、ただ、やっぱり一人ひとりの韓国の知人のいい所も知っているので、最終的には、なにかうまい解決法があると信じたい。

そんな希望が見えるような動画がありました。

「日本人が韓国でフリーハグをしてみた」


現実は、こんなに楽観的ではないだろうけれど、でも、こんな韓国も、確かな事実です。

雑想 | 【2012-08-25(土) 23:49】 | Comments:(2)
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愛と哀しみのボレロ 【2012-08-28(火) 21:43】
今朝早く、T(長男)は、ドイツに向けて旅立った。

なんとも低レベルな英語で、いろんな国の人に最新スマホのオモシロイ使い方をプレゼンするんだそうな。

ドイツ語も、簡単なあいさつ程度は覚えたみたいだけど。

「飛行機から落っこちないように」とメールしたら、「はーい」と、搭乗ゲートから撮った写メを返信してきた。

20120828.jpg

今ごろはきっとユーラシア大陸の反対側あたりの上空だろうか。

D通インターン・鎌倉合宿での頭脳特訓?の話も、とっても面白かったけれど、それはまた今度。

     *

先々回のブログ記事「クラシックのゲリラ?ライブ」で、「第9」をストリート演奏している動画を紹介したけれど、同じグループでラベル作曲の「ボレロ」バージョンもUPされている。



私にとってボレロといえば、「愛と哀しみのボレロ」。1981年の古いフランス映画。

初めて見たのは、まだ20代前半の頃。

第2次世界大戦中、敵国同士だったアメリカ、ソ連(ロシア)、フランス、ドイツ、それぞれの国の人が、恨みや哀しみをのり越えて一緒にボレロを演奏するという大作。

映像関係の仕事に携わってきたので、映画も結構観ているほうだけど、ベスト1を問われれば、たいていこの映画を挙げてきた。

とくに圧巻なのが、天才バレエダンサーと賞賛されるジョルジュ・ドンの、まるで重力の法則を無視したかのような踊り。


(映画とはちょっと違うけれど、こちらもGoodです)

言葉も発せず、ほとんど一人で、ただひたすら踊るだけなのに、ものすごいメッセージが伝わってくる感じに、完全に打ちのめされたのを覚えている。

そういえば6年ぐらい前だったか、レンタル店で見つけたので、妻と一緒に観たことがあった。

家の小さなTV(まだブラウン管)だったせいか、あるいは3時間超と長いせいか、はたまた夜中だったせいか、途中で寝てしまう妻に、ちょっとイラッと来たような・・・。

「そのスッゴイ踊りのとこだけ早く見せてよ」

「あのさ、いろいろあって、そこにつながるからスゴイんだよ」

――そんなこんなで、結局、妻は最後まで通してみることはなかったような気がする。

それでも、あの伝説のダンスのとこだけは、ちゃんと見たのか、それとも見なかったのか、どうも記憶がぼやけている。

いま思えば、ちゃんと見せておけば良かった。

雑想 | 【2012-08-28(火) 21:43】 | Comments:(0)
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ドタバタは続く・・・ 【2012-09-21(金) 22:39】
未だ続く厳しい残暑と同じように、我が家のドタバタも、ダラダラと続いている感じ・・・。

3男は、なかなか吐き気が治まらないので、念のために今日、胃カメラを飲んできた。

胃カメラ、どんだけ苦しいか、詳しく具体的に話して聞かせていたので、あまりの恐怖でよけい胃がねじれてしまっていたようす。

昨夜から検査までの12時間、断食してたせいで、家に帰ってからは、何事もなかったように、モリモリと昼食を食べていた。

長男は、予約してあったiPhone5を買いに秋葉原に。

つい先日、わざわざベルリンまで行って、見本市でライバル会社のスマホの素晴らしさを、招待スタッフとしてアピールしてきたというのに、何の未練もなく、さっさと乗り換えてしまった。

そんなもんか、最近の若いもんは・・・

戦利品を手にして、そろそろ帰ってくる頃だ。

2男は、ひたすら受験勉強している(と思わせて、実態は不明)。

もう9月も下旬だというのに、模擬試験を1つも受けていない。

余裕なのか、テンネンボケなのか、親もよく分からない、まことにフシギなイキモノ。

ラッキーは、相変わらず今も私のイスの下でベッタリ。

ほんの少しでもイスを動かすと、ラッキーを轢いてしまいしまいそうで、身動きが取れない。

もうちょっとしたら、夜の散歩に連れて行ってあげよう。

私のほうは、いま大きな仕事が大詰めに差し掛かっていて、中位の仕事も始まりそうで、小さな仕事もパラパラと飛び交っていて、なんとなくハイな状態。

というわけで、ブログがなかなか更新できない、言い訳でした。

明日は、妻の所に行って、一息つこうっと。

雑想 | 【2012-09-21(金) 22:39】 | Comments:(0)
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ELPなこのごろ 【2012-12-01(土) 23:36】
大河ドラマ「平清盛」も、そろそろ終局に近づいてきた。

史上最低の視聴率だとか・・・。

TVドラマはあまり見ないほうだけど、それでも夫婦揃って歴史が好きだったので、大河ドラマは録画したものをよく一緒に見ていた。

歴史好きからすると、毎回どうも演出過剰でリアリティが無さ過ぎなところがちょっと(いやかなり)不満。

そういえば、前々回の「龍馬伝」のときは、録画しておいた初回放送分をそろそろ見ようかと思った矢先に、妻は倒れたのだった。あんなに楽しみにしていたのに。

ところで、「平清盛」の初回を見たときに、あれ!?と思ったのが、主に闘いのシーンで使われていたBGM。

なんとタルカス(Tarkus)のオーケストラバージョンだった。

タルカスは、イギリスのプログレッシブロックバンド・ELPの初期の頃の作品。

高校の頃から聴き始めて、未だに毎日のように聴いている。(ちなみにYESとかも大好きです)

ただ、曲をよく知っているからなのか、もともとのイメージが強過ぎて、どうも「平清盛」の映像にはあまり合っていないような気がしてならない。

(今日は、こんな「知る人ぞ知る」みたいな、昔話が続きます。スイマセン)

話は変って、最近「悪の教典」という言葉、よく見かける。

最初見たときは、「あ、またELPだ! 最近、リバイバルでもしてるんだろうか」と思ったけれど、どうも映画のタイトルらしい。

ちなみに「悪の教典#9」は、「恐怖の頭脳改革(BRAIN SALAD SURGERY)」というアルバムの中の作品。

いま、このブログを書くために調べたら、このELPの曲と映画は、それなりに関係があるらしい。

ただ、こういう残虐なものや、小さな子どもや動物が苦しむような展開は、妻はとにかくダイキライだったので、私もあまり見ることはなかったし、この映画も恐らく見ないだろうと思う。(音楽がどんな感じで使われるか、ちょっと関心はあるけれど・・・)

さて、この「タルカス」、日本の小学生のような女の子がエレクトーンで演奏している動画があった。



変拍子と早弾きが続くかなり難しい曲なのに、スゴイ!

↓悪の教典#9 Part2(一番難しいジャズ風のパート)もあった。



ああ、仕事をさぼって、何時間もこんな感じの動画を見てしまった。

もちろん本家ELPの演奏はスゴイんだけれど、日本の若い子がここまでやっしまうのには、ほんとに驚いた。

というわけで、あまりのテクニックのすごさに、思わず笑ってしまったのが、↓コチラ。



若い頃、ミュージシャンを志したこともあったけれど、こんなのを見せられたら、方向転換して良かったと、つくづく思う。

そういえば、妻が大好きだった歌姫サラ・ブライトマンが宇宙に行くとか・・・

すごい時代です。

雑想 | 【2012-12-01(土) 23:36】 | Comments:(0)
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冬の京都 哀愁の一人旅・・・ 【2013-01-08(火) 01:13】
「各駅停車の新幹線」って、なんだか「しょっぱい砂糖」みたいな、妙な違和感のある言葉だけど、それでも、各駅停車のこだまに乗って、いざ京都へ。

仕事では何度か来ていたけれど、ほとんど駅と取材現場の往復だけだったから、実に高校の修学旅行以来、約37年ぶりの京都観光。

京都駅に着いて、ホテルに荷物を置き、さっそく二条城へ。

20130107b.jpg

大政奉還が行われた二の丸をしみじみと見てきた。

20130107a.jpg

庭園も素晴らしい。

その後、曼荼羅が見たくて、東寺に向かったけれど、冬は閉館時間が早く、どうも間に合いそうもない。

それで急遽、行き先を嵐山・渡月橋に変更。

なんとか、暗くなる前にたどり着いた。

2013-0107.jpg

川の水が、とてもきれいだった。

20130107c.jpg

平安から戦国、江戸、幕末へと、どこ歩いても日本の歴史が織り込まれている街。

だけど、歴史のウンチクを語る相手がいないのは、とっても寂しい。

妻が一緒に来てたら、どんなに楽しかったろうと、あれを見ても、これを見ても、そんなことばかり感じてしまう。

明日は、清水寺あたりから、京都観光の定番ルートを歩いてみようと思います。


雑想 | 【2013-01-08(火) 01:13】 | Comments:(2)
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冬の京都 詰め込み過ぎの一人旅・・・ 【2013-01-08(火) 23:23】
今日は丸1日、京都散策。

冬は寺系の閉館時間が早いため、ホテルを朝8時と早めに出発。

朝ご飯はどっかで食べよう。

まずは、定番中の定番、清水寺。

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朝早かったのと、正月シーズンが終わっていることもあって、人もまばらで、とても見やすかった。

「清水の舞台から飛び降りる」という言葉があるように、高校生の頃に見た記憶では、とても高い所にある舞台という印象があったけれど、いまこうして見てみると、あれ、こんなもんだったっけと感じた。

20130108b_20130114175954.jpg

高層ビルとかスカイツリーとか、どんどん高層建築が増えてきたせいなのか、それとも自分が年をとったせいなのか。

そういえば、子供の昔、新宿の高層ビル郡を見たときは、そのあまりの高さに目がくらむほどで、首が痛くなるほどずっと見上げていたけれど、今は、より高くなり、より数が増えているのにもかかわらず、何の感慨もなく通り過ぎていくようになってしまった。

清水寺を後にして、バスで三十三間堂に移動。

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整然と並んだ千手観音と、それを守る守護神たちに圧倒された。

端から端まで、国宝だらけの凄まじく贅沢な空間だけど、残念ながら、室内は全面撮影禁止。

次は電車で南禅寺。
↓ 駅から南禅寺に向かう途中のトンネル。
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↓ 南禅寺の三門 重要文化財。
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ほんとは紅葉の名所だけど、いかにも禅寺という感じの神秘的で意味ありげな空間が興味深かった。

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同じ寺でも、宗派の違いによって、印象がかなり違う。

千の手と目をもって救ってくれる慈悲深い仏像が中心の三十三間堂とは反対に、禅は、自力中心で悟りに至ることを目指すため、仏像にあまり重きをおかない傾向がある。

そのかわり空間の使い方が、独特だ。

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龍安寺の石庭と同じように、渦巻く砂の中に、不思議なバランスで配置された石。

何があるかではなく、何もないことのほうに意味を感じさせようとしているような空間。

風景は何も語らず、ただそこにあるだけなので、自力で、その意味を見い出さなければならない。

メッセージがどんどんやってくる千手観音とは、まさに真逆のアプローチ。

他力と自力、その両方に広がる仏教の奥行きを感じた。

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南禅寺のすぐ近くから続く「哲学の道」。

西田幾多郎やその弟子たちが、あれこれ思索しながら歩いたという小径。
端から端まで2キロ以上ある道程をすべて歩いた。

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哲学の道のゴール近くに見えてくる銀閣寺。

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建物はもちろんだけど、その周りの庭園も素晴らしい。

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銀閣寺からは、バスで京都を横断して金閣寺へ。

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とにかく、美しいの一言だけど、あんまり綺麗過ぎて模型のよう。

やはり、焼けた後に建てた新しい金閣寺であるという先入観があるためか、どうしても歴史の重さがなさそうに感じられてしまう。

ただ、それでも、そんなことを凌駕するだけの圧倒的な美しさがある。

周辺の池や、日本列島を模した小島の配置なども、とっても味わい深い。

↓不思議な形(おそらく鶴?)の鳥が一羽。
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直立不動で全く動かないので、置物かとばかり思っていたら、突然、飛び立った。ホンモノだった。

     *

日本人の感性は、遥かな昔から、ほんとにすごいものがあったと感じた1日。

気がつけば、何も食べずに夕方まで歩き尽くめだった。

今回は、いわゆる観光名所ばかりを巡る旅だったけれど、それでも時間と空間を行ったり来たり、冬の京都をじっくりと味わうことができた。

雑想 | 【2013-01-08(火) 23:23】 | Comments:(4)
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日常 【2013-06-18(火) 23:02】
暑さと湿気で、けだるい毎日。

なにかと忙しく、バタバタしております。

長男は今夜の便でフランスへ。

今頃、ユーラシア大陸の上空10,000mあたりを時速900kmぐらいで飛んでいるはず。

2男は、大学の宿題で、哲学のレポートをまとめている…はず。

先回書いたものが、父から「ゼンゼンオモシロクナイ」と言われて、かなり悔しがっていた。

3男は、父から与えられた課題図書数冊を読んでるいる…はず。

試しに2男のレポートと同じテーマを与えたら、はるかに面白いものを書いたので、気をよくしている。

4男(ラッキー)は、昼の間、暑さにグッタリしていたけれど、夜になって涼しくなったせいか、しきりに散歩をねだりに来る。

この記事をUPしたら行こうと思う。

妻は、病院のベッド。3年半前から、ずっとこの状態。

4年前にはみんな一緒に暮らしてた家族が、今は、空の上だったり、病院のベッドだったり。

なんだかフシギな感じです。

今夜は、2男と3男とそうめんを食べた。

ナスとピーマンを素揚げにして、それとトリの唐揚げ。薬味にはネギを添えて。

おいしかった。

男だけの食卓はもう慣れたけど、1番明るくてよくしゃべる人と、2番目にしゃべる人がいないから、やっぱり寂しさも感じる。

雑想 | 【2013-06-18(火) 23:02】 | Comments:(3)
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