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ラッキーパパ

Author:ラッキーパパ
向日葵のように明るかった妻が突然倒れました。5人の子どもたち(T:18、Y:16、K:13、ラッキー:犬1…全員♂・年齢は当時 2016年より猫1が参加)と共になんとか生きています。詳しくは「はじめに」で。

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意味ないことは起こらない 【2010-04-01(木) 23:36】
今日から4月。妻が倒れてもう2ヶ月半。
長かったようで、あっという間のようで。
夢の中の出来事のようでもあり、生々しい現実が迫ってくる時もあり。

でも今こうして、春のいつになく暖かな夜、静かな病室で、柔らかな光を浴びながら、妻と二人、向き合い、何も語らず、見つめ合い、心の中の思いを伝えようと、じっと見つめ合い、何かが通じたような気がして、嬉しくなったり、笑ったり、そして泣いたりしていることは、紛れもなく2010年4月1日の現実だ。

妻が倒れる直前までは、そして倒れた後でさえ、全く想像もしなかった状態。
だけど、こうなるべくして、こうなったような気もする。

多大な犠牲を払い、多くのものを失ったままではあるけれど、それによって私も、子どもたちも、そしてきっと妻も、何か大切なものを得て、また次のステップを昇ろうとしているような気もする。

「母さんがまだ目が覚めないのは、何か意味があるんだと思う」と、2男は言っていた。
「まだ、この状態を続けなければならないから、こうなっているような気がする。父さんがいつも言っていたように、意味のないことは起こらないんだよ」

「その意味って何だと思う?」

「はっきりとは分からないけど、自分が変わらなければならない期間だとは感じてる」

子どもたちは、この状況によってもたらされた意味を、それぞれのレベルで受け止めようとしている。
そして私自身、その「意味」の中に迷い込み、混乱したり、決意したり、落ち込んだり、希望を感じたりの繰り返しだ。

でも、「生きていればなんとかなる(んじゃないかなあ、そのうち)」と、ようやく開き直ったり、楽天的に考えられるようにはなってきている。
だって、落ち込んだときに慰めてくれるはずの妻が、こうしてずっとお休み状態なのだから、「もうダメかも・・・」なんて、落ち込んだふりをしても仕方がないわけだし。

小さな子どもが転んだ時、母親が心配そうに駆け寄ると思いっ切り泣いて助けを待ち、母親がいない時には、自分で立ち上がったりするけれど、なぜだかそんな情景が思い浮かんだ。

そういえば我が家は、よほど危険なことでもない限り、そういう時は放っておくのが常だった。
外でも家の中でも、スネたりしたら、「スネオ君は、あっちに行って1人でスネててね。スネオが治ったら戻っておいで」と、ゾッとするほど冷たくあしらった。

スネオのままだったら、おやつはもちろん、食事さえ、スルーされることもしばしばだったから、子どもたちは、ちょっとでもスネたら大損するということを身にしみて感じてきたはず。

かくいう私も、この期間は、あまりの寂しさに、ちょっとスネオになりかけた時もあったり・・・。

反省。

そんな父に対して、子どもたちは、自分たちの育てられ方とは違い、無視することなく、みんなで暖かくフォローしてくれた。


子どもたち | 【2010-04-01(木) 23:36】 | Comments:(5)
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ちょっと疲れ気味・・・ 【2010-04-02(金) 23:54】
私自身の体調が思わしくなく、今日は病院に行けなかった。

もう妻が倒れて2ヶ月半。さすがにいろいろな疲れが出てきたような気がする。
がんばらなければと思いつつ、がんばり過ぎて倒れるわけにはいかないし・・・。
かといって、がんばらないと、やっていけないし。

「まだ意識は戻っていないの? タイヘンだねえ」というようなことを言われると、どう答えたらいいか困ってしまう。

「回復するかどうかは家族のがんばり次第」というような”激励”は、「回復しないのは家族の怠慢」みたいに聞こえなくもないし。

今日の私の体調不良、みぞおちあたりの奥のほうが冷えている感じで、また、手足の指先が痛いほど冷たくなり、とても苦しかったけれど、子どもたちが3人がかりで、体を温めてくれたりマッサージしてくれたりして、何とか起き上がれるくらいまで戻った。

たしか1年ほど前にも同じような症状になったことがあった。
その時は、妻に連れられて近くの病院に行き、さらに精密検査のために大きな病院にも行ったけれど、結局、1時間以上待った後の3分間だけの診察で「疲れでしょう」と言われて、適当な薬をもらって帰された。
だいたい病院で待っている間に、ひどい症状は治まっていたから、その薬も飲まなかった。
あの時も、疲れやストレスが相当溜まっていたような記憶がある。

その経験があったから、しばらくじっとしていれば、この苦痛は過ぎ去ると信じて耐えることができた。
そうでなければ、すぐにでも救急車を呼ぼうと思うくらいきつかった。

とにかく、私まで倒れるわけにはいかない。

ムリをせずにがんばるという、何だか難しい綱渡りをしているような日々だけど、母や子どもたちに支えられて、今日も一つの苦しみを乗り越えることができました。

安定期/リハビリ | 【2010-04-02(金) 23:54】 | Comments:(7)
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元気です 【2010-04-04(日) 14:18】
いろいろご心配をおかけしました。

おかげさまで私は元気です。

おとといは、子どもたちが総出でマッサージしたりドライヤーやカイロで体を温めたりして私を介抱してくれました。

3男は、苦しむ父を見て泣きながら私の体をさすり、

2男は、「だいじょうぶ、だいじょうぶ」といいながら、みんなを励まし、

長男は、M先生からもらった足の裏の反射区の図を見ながら押すべきツボを探し、

ラッキーは、顔や手をペロペロなめて、

一時は大騒ぎになったけれど、

でも、1年前のときと同じように、苦しみのピークの1~2時間を過ぎたら、ウソのようにすっかり元通りになりました。
夕食は、みんなで笑いながら、いろんな話をしながら、普通に食べました。

みぞおちのあたりに氷の塊があるような感じというか、冷たいアイスを一気に飲み込んだような苦しさの特大レベルというか、そんな状態。
前に精密検査したときは、とくに異常は見つからず、「おそらく疲れでしょう」と言われたけれど、たしかに今回も、妻が倒れてからは全く休む日がなかったから、きっとそうした心労が溜まって、体の奥の氷の塊になったのかもしれない。

というわけで昨日もちゃんと妻に会いに行ったけれど、夜は大詰めに入った仕事があって、ブログの更新ができませんでした。
寝込んでたわけではないです。

ただ、長男と3男は、それなりに心配だったのか、夜、仕事中の私の部屋に来て、なんだかんだしているうちに結局そのまま寝てしまいました。

20100404.jpg
 (-o-)...zzz (--)zzz.。oO○

逆に私のほうが子どもたちの部屋に行き、2男と一緒に寝るという、不思議な構図に・・・。

     *

コメント、返事ができなくてすいません。
とても元気付けられてます。

「笑み」さん、コメント欄、自由に使ってください。
私にもとても参考になります。

子どもたち | 【2010-04-04(日) 14:18】 | Comments:(2)
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植物療法(フィトセラピー)のオイル 【2010-04-05(月) 22:43】
桜の花が満開なのに、少し肌寒い1日。
いつもの妻なら、花粉症でつらいこの季節。
痰が絡んでタイヘンかもと思ったけれど、どうやら心配なさそう。
気管切開して喉から呼吸しているので、鼻づまりもあまり関係ない感じだ。

夜の9時過ぎ。消灯時間を過ぎた病室には、ほのかな灯りが点っている。

ここ数日は、つながっている管が少なくなったので、かなり自由に体を動かせるようになった。
両手をバンザイするように上に上げると、驚いたように眼を見開く。

脚のほうも、ちょっと過激と思えるぐらい伸ばしたり曲げたり捻ったり回したり。
痛みを感じるほど強く押すと、ちょっと苦しそうに顔をゆがめる。
そのうち「痛いっ!」て言ってくれるんじゃないかと期待している。
(でも、気管切開しているから、今はまだ声は出ないか・・・)

ついさっきまでT夫妻がここにいたはず。
仕事の絡みではあるけれど、熱海からわざわざ来てくれた。

それは、メラ○○ーカの独特の匂いでも分かる。
妻が愛用していた植物療法(フィトセラピー)のオイル。
きっと、Tさんが妻に塗ってくれたのだ。

元気な時であれば、子どもたち以上に、まず妻が喜んで迎えていた最高の友だち。
いつもいつも1時間を越える長電話をしていた。
(今は子どもたち(とくに長男)が、妻に代わってもっと長い電話をするようになっているけれど)

今日はどんな話をしたのだろう。
どんな話をしたかったのだろう。

大人になってからこうした特別な人間関係が結べるのは、ほんとにありがたいことだ。
妻の、明るく素直で率直で誠実で天然な性格のおかげだと思う。

     *

さて、転院先。
リハビリにも積極的に取り組んでくれるという病院と交渉中だ。
車で1時間ぐらいの所にある。
今より倍以上遠くなってしまうけれど、何よりも妻にとっては、きっと良い環境に違いない(と信じている)。

ただ人気があるだけにベッドの空きがなく順番待ちになるらしい。
この病院から直接転院できなければ、どこか他の病院を経由して、迂回転院ということになるかもしれない。

それでも、とにかく早く先に進みたい。
来年は、妻と一緒に花見がしたいから。

安定期/リハビリ | 【2010-04-05(月) 22:43】 | Comments:(2)
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しみじみとした夜 【2010-04-06(火) 23:57】
今夜の「病院詣で」は、長男と一緒。

ベッドに寝る妻を挟んで、いろんな思い出話をした。

お互いの両親に初めて会った頃のことや、それぞれの先祖のこと。

なんだか、しみじみとした夜だった。

妻は、時折パッチリと眼を開いて、聞いているようでもあり、夢心地のようでもあり。

いつか、あんなこともあったねえと思い出すことになる1日のような気がする。

とにかく、妻が倒れて以来、毎日毎日がとても貴重に感じられる。

近いうちに、転院先に面接に行くことになった。

安定期/リハビリ | 【2010-04-06(火) 23:57】 | Comments:(1)
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転院先で見えた希望 【2010-04-07(水) 23:58】
昼、転院先の病院に行き、ソーシャルワーカーの方と話をしてきた。
とても丁寧な説明の後、一通り院内の見学もさせていただいた。

施設も、理念も、ケアプログラムも、雰囲気も、そしてスタッフの皆さんも、とても良い感じだった。

リハビリルームでは、楽しそうな人も、少しつらそうな人も、とにかく一生懸命、リハビリに取り組んでいた。
アートセラピーで患者さんたちが描いた絵が壁に貼ってあった。

作業療法では、料理を作ったりもするらしい。
妻は、台所仕事が好きだったから、きっと効果が大きいと思う。

まずは、早く意識が戻るように刺激を与え続けることから始めることになるけれど。

とにかく1日も早く、ここに連れて来たいと思った。
早ければ連休明けか、遅くとも5月中にはなんとか転院できそうなニュアンスだった。

今の病院から比べると、かなり遠くはなってしまうけれど、そんなことは大した問題じゃないと思ってしまうほど、妻にとっては素晴らしい環境であると感じられた。

この病院は、実は妻が敬愛して止まないM先生のお墨付きの病院。
10数箇所の病院リストの中から、ある特殊な方法で、「ここなら大丈夫」と選んでくれた所。

実際に行ってみると、それが正しかったということを実感した。



安定期/リハビリ | 【2010-04-07(水) 23:58】 | Comments:(5)
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花見 【2010-04-09(金) 23:32】
「ほら、病院の敷地内にある桜だよ」

そう言って、ケータイで撮っておいた桜の写真を見せた。

100409.jpg

妻は、じっと見つめていたけれど、ケータイを視線から外しても、やっぱりずっと同じ所を見ている。

「今年は行けなかったね、お花見。でも、桜は毎年咲くから。来年も再来年も、その次も」

去年まではほぼ毎年、簡単なお弁当を作って近くの公園や土手に行き、ほんの数日間だけせいいっぱいに咲く桜の下で、そのひと時、その瞬間、家族が共にいられる幸せを確かめ合っていた。

「桜は、散るから美しいんだよね」

「でも、ずっと咲いていて欲しい気もするなあ、ワタシは」

「もし花が枯れることなくずっと咲いていたら、当たり前過ぎてキレイだと感じないんじゃない?」

「そうかなあ・・・」

「造花は、どんなにキレイに真似ても、枯れないから、ホンモノの美しさにはかなわない。枯れて、ヨレヨレになって、腐って、捨てられて、土に返るから、ホンモノはキレイなんだよ」

「ワタシたちも、少しヨレヨレだね。アハハ」

「カラダのほうは少し疲れが見えてきているかもしれないけれど、美しさは、ずっと増してきている気がしないでもないよ、アナタのほうは・・・」

「アハハハ! それは、惚れた欲目で見てるからでしょ?」

「欲目だろうがなんだろうが、私にとっては真実なんだけど」

「・・・でも、やっぱりこのまま枯れずにずっと一緒にいたいって思わない?」

「そりゃそうだけどね。でも、もし永遠の命があったら、きっと永遠の退屈が続くだけのような気もする。だって、時間が無限にあるんだから、時間のハイパーインフレになって、時間に価値がなくなる。もし、私が永遠に生きる神だとしたら、死を手に入れるために、人間になりたいと思うだろうね」

「ウーン、ワタシも神さまより、人間のほうがいいな」

「どうして?」

「だって、パパと結婚したいから」

ああ、また、桜の下で、二人、取り留めもない話がしたい。

     *

・・・と、ここで若い看護師さんが痰の吸引に来てくれた。

敷地内の桜がキレイですね、というような話をしていたら・・・

「先日、ちょうど満開の頃に、車椅子で外に出てお花見したんですよ」と話してくれた。

知らなかった。車椅子で出かけたりしていたんだ。
最近はほとんど夜しか来ていなかったから、いつも寝てばかりいると思っていた。

「おとといは天気が良かったし、桜がとてもキレイだったから、外に出てみたんですよ」

嬉しかった。妻はどんなに喜んだろう。

それにしても花見、今年もちゃんとできたんだね。良かった良かった!

夫婦の時間/想い出 | 【2010-04-09(金) 23:32】 | Comments:(7)
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踊りながら電話を 【2010-04-11(日) 23:15】
手術のときにすっかり剃られてしまった髪の毛も、ショートカット(かなり短めだけど)というぐらいまで伸びてきた。

心臓もしっかり動いているし、呼吸も(喉からだけど)正常。
顔のむくみも消えて、見た目は元気な頃とそれほど変わらない。

半月ほど前までは体温が37度~38度あたりを行ったり来たりしていて、いつも体を冷却する氷枕のようなクッションを入れていたけれど、気管切開してからは、それもあまりなくなった。

血圧は、どうなんだろう。
ずいぶん前からモニターが撤去されているので分からない。
きっと、問題ないレベルなんだと思う。

いつもほとんど水平レベルだったベッドも、ここ最近は30度ぐらいの角度がついて、少し上体が起きているような感じになっている。

手足の関節は、毎日マッサージをしているせいか、まだまだ普通にしなやかに動く。
少しだけ左足の膝が硬いような気もするので、今日は重点的に動かした。

ただ、ちょっと前まではよく開いていた目が、なんとなく閉じていることが多くなったような気もする。
たまたま寝ている時間なのか、あるいは意識活動が少し出てきて、かえって疲れて眠っているのか。

     *

昨日、妻の実家からお米が届いた。
おかげさまでこの20年間、我が家は米を買ったことがほとんどない。
3人の子どもたちは、おじいちゃんおばあちゃんが作ったお米(それも本場のコシヒカリ)を食べて、ここまで大きくなった。

お礼の電話をしたら、天候不順で今年は米も野菜も厳しい状況だということ。
いろんな心配が重なり、きっとタイヘンな状況なのに、いつも私たちを応援してくれる。

いつもなら妻が、「おじいちゃん、お米ありがとう!」と、底抜けに明るい声で電話していたはず。
その姿を横で見ていると、踊りながら感謝や喜びを表現しているから、とっても面白かった。

「そんなに身振り手振りをしても、電話では見えないと思うけど」と無粋なことを言うと

「それがねえ、おじいちゃんにはちゃんと通じるんだよねえ」と言って笑った。

電話では見えなくても、実の親子ならその気持ちは通じているのかもしれないね。
私自身、妻と電話で話しているときには、彼女がどんな顔で、どんな格好で話しているのか、まるで目の前にいるように感じられたし。

妻は、実家のお父さんお母さんも、そして私のほうの親も、大好きだった。

早く元気になって、せいいっぱい親孝行がしたいに違いない。

安定期/リハビリ | 【2010-04-11(日) 23:15】 | Comments:(1)
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瞬きでのコミュニケーション? 【2010-04-12(月) 23:35】
4月も半ばなのに、冷たい雨が降る1日。
今日は久しぶりに昼のうちに会いに来れた。

私が来たときは寝ている様子だったけれど、手足のマッサージを始めたら眼を開いてくれた。

しきりに瞬きをするので、それでコミュニケーションできないかと思い、今までも何度か試してみたけれど、こちらの問いかけに対する反応なのか、単なる反射なのか、はっきりとは分からない。

「1,2の3で、パチってやってね。ハイ、1,2の3!」と言っても、できたりてきなかったり、1~2秒遅れてできたり・・・そもそも10秒に1回ぐらい瞬きをしているので、なかなか確認は難しい。

「パチパチって、2回、続けて見て」と言うと、10回に1回ぐらいできるかどうか。
これも、意識的な動きかどうかは微妙なところだ。

口の動きでも試してみたけれど、やっぱり同じ感じ。

手術直後、手も足も目も口も全く動かなかった頃からすれば、今は、両手両足が、たとえ反射的なものであっても、かなり動くようになっているのだから、回復には向かっていると信じている。

安定期/リハビリ | 【2010-04-12(月) 23:35】 | Comments:(5)
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ラッキーとの散歩 【2010-04-13(火) 23:58】
昨日とはうってかわって暖かな1日。
天気が良かったので、最近散歩の回数が減ってちょっと太り気味なラッキーを、朝と夕方と少し長めの散歩に連れ出した。

3ヶ月前までは、ほぼ毎日、夫婦+ラッキーで散歩していた。
若くて元気なラッキーのペースに合わせるため、私たちもノンビリというわけには行かず、かなり早足で歩いていた。

「いつかラッキーのほうが私たちに付いて来れなくなるんだよね・・・」と、妻はしみじみと言っていた。

イヌは人間の5倍の速さで年を取る。
それはラッキーを家族として迎え入れた時から覚悟していたこと。

「そうだね。そのときはゆっくりゆっくり歩けばいい。歩けなくなったら、抱っこして連れ出そう。そのためにはまず私たちが元気でいないと」

「ラッキーとの散歩のおかげで、ワタシずいぶん体力がついた気がするの」

「私もだよ。70になっても80になっても、こうして一緒に散歩しようね」

――あれから3ヶ月。ラッキーは、大好きだったママの声をずっと聞いていない。

そんなわけで今日、ラッキーに、ドッグランに行った時の動画を見せてみた。

ママが大きな声で「ラッキー!」と呼んでいる。

「ラッキー、ボール取っておいで! ヨーシヨシ、良い子だねえ!」と、ラッキーをクシャクシャに撫でている。

スピーカーから聞こえるママの声に、ラッキーは首をかしげながらあちこち見回し、懐かしい姿を探しているようだった。

その同じ動画を、いま病室の妻にも見せている。

「覚えてる? ドッグランに行った時の動画。あなたがオモチャを投げて、ラッキーが取って来て、思いっきり褒めて。何度も何度も。ラッキー、飛び跳ねて喜んでた。楽しかったね。私たち、こんなに幸せだったんだね。でも、今も幸せだよ」

妻は、画面をじっと見ていたけれど、それより「ラッキー!」と呼ぶ自分の声のほうに、より反応しているような・・・。
動画再生中は、心なしか瞬きが減って、何か集中しているように感じられた。

     *

最後の散歩は、たしか倒れる前日(1月14日)の夕方。
家を出る時はまだ明るかった空が、40分ぐらい歩いて家に着く頃には薄暗くなりかけていた。

「ずいぶん日が長くなりましたね。クリスマスの頃は、家に帰るともう真っ暗だったのに」そう言って、笑ったあなたの顔を、今も覚えている。

「今日は、散歩から帰って、庭で30分ぐらい遊んでも、まだまだ空が青かったよ」

またラッキーと散歩ができるように、今夜も帰る前にもう一度、脚のマッサージと関節体操をしておこう。


ラッキーのこと | 【2010-04-13(火) 23:58】 | Comments:(6)
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50の坂 【2010-04-15(木) 23:06】
今日は私の誕生日。
ついに50の大台に乗った。

妻より3つ下だけど、いつも私のほうが上に見られていた。

妻は若く見られることが嬉しくて、「私って若く見える?」と、1週間に1回ぐらいは確認してきた。

「見える、見える!」――もう何度同じように応えただろう。

「何歳ぐらいに?」――これも、いつものこと。

「30代でもだいじょうぶかもよ」

「まさか・・・」

「いや、セーラー服だって着れるかも」

「アハハ。コスプレしたら、グッと来る?」

「来る来る」

「ヤメテよ」

「セーラー服どころか、ランドセルだっていけそうだ」

「また始まった・・・」

――古典落語のように同じパターンの繰り返し。だけど、そのつどおかしくて笑ってしまう。

あんまり何度も同じことを聞くので、ときどき(いや、いつも)こんなふうにひにくっぽく言ってしまっていたけれど、ほんとに妻は若々しくて、かわいらしい人だった。(もちろん、今もだよ)

「自分がもう50を過ぎたなんて、ぜんぜん思えないの。気持ち的には、20代、30代の頃とあんまり変わっていないような気がする」

「そうだね。子供のころ50歳といったら相当な年のように見えたけど、自分がそうなってみると、まだまだミジュクモンだよね。あなたはもう完成の域に達しているけどさ・・・」

「それ、矛盾してるでしょ。さっきはランドセルとか言ってたくせに」

「いや、見た目は若くても、内面は立派に成熟してるってことだよ」

「ランドセル背負った子が成熟してたら、ヘンでしょ!」

――冗談のように言いながら、でもほんとに私は妻を人格的にも尊敬していた。
なんて素直な人だろうと、その澄んだ心にいつも感動していた。

子どもたちにも、「母さんのような人と結婚できるように、君たちも立派な男になれ」と教育してきた。

「父さんは、それだけ立派だったってこと?」

「それとこれとは、別の話・・・いや、父さんは顔で勝負できたから・・・」

     *

さて今日は、冬に戻ったような寒い1日。

いろいろあったけれど、50歳の誕生日をこうして妻と共に迎えることができた。

ここにはケーキも、ローソクも、Happy Birthday♪も、定番のチラシ寿司やカラ揚げもないけれど、最愛の妻が傍にいる。
それが病室のベッドであっても、たとえオメデトウの言葉がなくても、なんだか不思議と幸せな気分がこみ上げてくる。

「いよいよ私も、あなたと一緒に50の坂を上り始めるよ。60の坂も70の坂も80の坂も、一緒に上ろうね」

サラ・ブライトマンのアヴェ・マリアが、心に染みる夜。

人気の記事 | 【2010-04-15(木) 23:06】 | Comments:(11)
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470億km 【2010-04-17(土) 13:17】
妻は、昨日、お風呂に入れてもらったらしい。
そのせいか、どことなくスッキリした感じに見えた。

私たちは、新婚当初から今まで、いつも2人一緒にお風呂に入っていた。
妻が倒れる前夜も一緒だった。

そのほうが経済的だし、楽しいし、いろんな話ができるし、お互いの体の状態(メタボ具合?)を確認(糾弾?)できるし。

仕事が忙しいときは別々の時もあったけれど、私が仕事に打ち込み過ぎてそのまま入らないでしまったりするので、妻がお風呂から「パパ」と呼ぶ声には無条件に従うという不文律があった。

その声が私に届かないようなときは、子どもたちが「母さんが呼んでるよ」と教えてくれた。
仕方なさそうに浴室に向かう私を見て、子どもたちは「父さんは幸せ者だね」と言っていた。

1月15日の昼も、妻は浴室から「パパ」と呼んだ。
それは、脳出血で意識が薄れかける中で必死に搾り出した助けを求める声だった。
あのとき以来、私はずっと1人での入浴。たまにラッキーが一緒に入るけれど。

     *

50歳になって2日目。
今日は2男の誕生日。
たった2日違いなので、誕生パーティはいつも合同(というより、私のほうは「ついで扱い」)だった。

今日は、おばあちゃんと長男が料理を作り、2男と3男がケーキを作るということになっている。
去年のクリスマスは、たしか妻+2男+3男でケーキを作った。おいしかった。

50年という歳月。
私が生まれてから今まで地球は太陽の周りを50回廻ったということになる。
距離にして約470億km。
ちなみに公転速度は時速10万km、秒速だと30kmぐらい。
寝ていても、歩いていても、走っていても、悩んでいても、泣いていても、笑っていても、おかまいなしに凄まじいスピードでグルグル廻っている。
そしていつのまにか、470億km。

なんだか分からないけど、とにかくすごいことのような気がする。

夫婦の時間/想い出 | 【2010-04-17(土) 13:17】 | Comments:(5)
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人生への招待状 【2010-04-19(月) 23:04】
「ここの子どもたちは、みんなちゃんと自分の居場所がある。自分がここにいて良いんだと当たり前のように思っている。ケンカしても叱られても、それは変わらない」――ウチの子どもたちをみて、Tさんはそう言った。

中高校生になっても、男の子3人がジャレ合い、競って親の近くに座り、会話をしようとする彼らを見て、「絶滅種に近い存在」と評した人。妻の大親友。何時間も長電話をする相手。

「この子たちは、みんなしっかりと"招待状"を持っている。自分が望まれて生まれてきたということを知っているし、毎日毎日それを実感している」

「それって、当たり前のことだと思うけど・・・」と私。

「この家では当たり前なんだけど、他ではそうでもないところが多いんじゃないかなあ・・・」

――たしかに、招待状はもらっても、多くの場合、何らかの条件付きだったりするかもしれない。

「いうこと聞いたら」とか「もっと勉強できたら」とか「良い子限定」とか・・・。

本来、人生への招待状は、無条件であるはず。
まず無条件で受け入れているという大前提、安心感があって、そこからより大きな成長を願うというのなら分かるけど、「招待するためには、こうしないと」というのは、順序が逆な気がする。

「ママは、パパから招待状をもらってすごく幸せだったのが分かるし、パパもママから招待状もらってたでしょ」とTさん。

「たしかに・・・」

「この家には、招待状がいっぱいある。ラッキーだって持ってるよ、最高の招待状」

招待状・・・人は人生の中で、いろんな招待状をもらう。
私にとって一番嬉しい招待状は、間違いなく妻からのものだ。
そして私は既にそれを手にして、20年間妻と共に生きてきた。
もちろん私も妻を最高のVIPとして、自分の人生に招待していた。

そうしていつの間にか、長男が生まれ、2男が生まれ、3男が生まれた。
3人ともその手に招待状をもっていた。
それは、妻と私を、それぞれ母と父として歓迎するという、私たち二人への招待状だった。

いま妻は、ゆえあって長い休息に入っているけれど、私からの招待状も、子どもたちからの招待状も、無条件・無期限のもの。
どんなに時間が経っても、その輝きを失うことはない。

いつでも戻っておいで。いつまででも待っている。

     *

急転直下、今週中にでも転院することになりそうな雲行きです。

人気の記事 | 【2010-04-19(月) 23:04】 | Comments:(6)
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「わが家の歴史」 【2010-04-21(水) 18:45】
「わが家の歴史」(TVドラマ)を観た。
  ※ネットでも観られます。→フジTVオンデマンド

脚本は三谷幸喜。
三谷作品(映画)は、「ラヂオの時間」から「ザ・マジックアワー」まで全部妻と一緒に観た(TVでだけど)。

三谷作品全般に流れる肯定的なメッセージ。笑いをこらえられない絶妙なユーモア。
そうした全部が絡み合って、見終わった後、なんだか幸せな気持ちになれる感じが、妻も私も大好きだった。

「わが家の歴史」、今回は独りでの鑑賞だったけれど、それでもとても心が明るくなった。
日本っていい国だなあと、思った。
妻と一緒に観たかったけれど、そうしたらきっと笑ったり泣いたり(それも大声で)、タイヘンだったと思う。

実体験版「わが家の歴史・闘病編」は、TVドラマや映画にはならないけれど、今もこうして妻と私と子どもたちとラッキーとで、毎日リアルにつくられている。
脚本も監督も主役も私たち自身。
物理的な状況や制約はなかなか変えられなくても、それをどうとらえるかは、私たちの心の思いのままだ。

いろんな人がいろんなことを言うけれど、私たちは私たちの家族の歴史を、しっかりと生きていきたい。

明日はいよいよ転院の日。
「わが家の歴史・闘病編」も、第2章に入るのかもしれない。

雑想 | 【2010-04-21(水) 18:45】 | Comments:(4)
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最後の夜に 【2010-04-21(水) 22:51】
この病院での最後の夜。
3ヶ月間、妻はずっと寝たままだったけれど、それでもいろんな思い出がしみこんだ病室。

まだ正月気分の残ってた”あの日”から、節分も雛祭りも過ぎて、春が来て、桜が咲いて、散って、私も50になった。

結婚してから今まで、どんなに遠くに出張していても、いつも電話で話したから、1日だって妻の声を聞かない日はなかったのに。もう”あの日”以来、聞いてない。

  ラッキーの予防接種も、おととい一人で行ってきたよ。
  動物病院に行って、フィラリア予防の薬ももらってきたし。

  昨日は、三谷幸喜の「わが家の歴史」を見た。面白かった。
  あなたが横で一緒に見ているような気がして、しかたがなかった。

  明日は転院だね。
  苦労してようやく探し当てた病院。
  気に入ってもらえたら嬉しいな。
  また新しい出会いがあるね。
  もしあなたの意識が戻り、みんなと話ができるようになったら、
  きっと病院中を明るくできると思う。

  天気の良い日は、車椅子で外に出ようね。
  そしたらラッキーとも再会できる。
  ラッキー、どんな反応をするだろう。

  2010年・春。
  わが家の歴史は、予想外の展開になっているけど、
  これからどうなっていくのか、
  不安よりも、希望や楽しみのほうが大きい気がするなんて
  なんだかヘンな感じだよね。

  とにかく、明日からも一緒に前に進もう。

     *

転院を機に、ブログのタイトル、変えました。
向日葵をひらがなにして、”闘病”をとりました。
とくに深い意味はないけれど、なんとなく”闘ってる”という感じではないので。

安定期/リハビリ | 【2010-04-21(水) 22:51】 | Comments:(3)
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転院・新たな出発の日 【2010-04-22(木) 23:22】
今朝、3ヶ月過ごした病院を発ち、介護タクシーで約1時間。
道中、妻の傍には長男が付き添い、私は車でその後を追いかけた。
冷たい雨が降る中ではあったけれど、昼前にはこれからの希望をつなぐ新たな病院に無事到着。

着いてすぐにCTスキャンを撮り、院長の説明を聞いた。
それなりに大きな病院だけど、幸運にも院長自らが担当医になってくれた。
脳の腫れはほぼ引いているけれど、まだ吸収されていない血腫もあるらしい。
逆に、それがなくなれば、まだまだ意識レベルの向上が見込めるということでもある。

院長は「希望を捨てずに、出来る限りのことをしてみたい」と、静かに、だけど真剣に語った。
その場には、看護師長、担当看護師、リハビリ療法士、ソーシャルワーカーが同席。
みんな意欲的で、なんだかとっても心強いチームに感じられた。

病室に行くと、リハビリのスタッフ(リーダー+理学療法士+作業療法士+言語療法士)が来て、手足の動きなど、妻の状態を確認。
前の病院でリハビリをしていなかったにしては、手足の硬直もほとんどなくとても良い状態ですねと、家族や面会者がマッサージをしてきたことを褒めてくれた。

そのうえで、1ヵ月の目標と長期目標を設定。とにかく何らかの反応ができるように、それぞれのスペシャリストが毎日入れ替わり立ち代り、関わってくれるということだった。
私たちがドクターの話を聞いている間、さっそく車椅子に乗って短い時間だったけれど院内の散歩にも連れ出してもらったらしい。

若い男性の理学療法士の方が、妻に「これからがんばりましょうね!」と、明るく話しかけてくれたのが、とても、とても、とっても嬉しかった!
たとえ何も反応できなくても、一人の人間として、女性として、私たちの大切な家族として扱ってくれている――心からそう感じられたから。

院内を歩いていると、すべてのスタッフが、笑顔で挨拶し合っている。
みんな楽しそうに仕事をしている。

帰り際、長男は「ここに来てほんとに良かったね」と言った。

安定期/リハビリ | 【2010-04-22(木) 23:22】 | Comments:(11)
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幻の2ショット 【2010-04-24(土) 23:51】
昼過ぎに病院に行くと、神奈川からKさんが来ていた。
なぜか、Kさんとはこうして顔を合わせることが多い。
遠くから、わざわざきていただいて、いつも大感謝です。

午前中は、年配のご夫婦が面会に来られたということを受付で聞いた。
きっと、T先輩夫妻だと思う。

妻は昨日から少し熱が出ているらしい。
どうも引越しの疲れが出たのかもしれない。

先日の面接のときに、リハビリチームのリーダーから妻の性格や趣味などを質問された。
底抜けに明るい性格だったことや、好みの音楽のジャンル、料理、庭いじりが好きなことなどを伝えた。
リーダーは、私の話の1つ1つに関心を示し、メモをとって聞いていた。

考えてみれば、時間的にも、ケア内容的にも、家族以上に密接に関わることになるのだから、妻がどんな人間なのかということを知っていただくのは、とても大切なことだ。
当の本人がまだ何も反応できない(人格を表現できない)のだから、なおさらのこと。

その手がかりの一つとして、家族との関わりが分かるような写真をいくつか選んで、ベッドの横のコルクボードにピンで留めてきた。

写真を選ぶときに苦労したのは、私自身が妻と一緒に写っているものがあまりに少ないということ。
だいたい私は撮影する側にまわることが多い上に、撮影対象は、子どもやラッキーがほとんど。

妻と私の2ショットとなると、ここ20年の間に、ほんの数枚あるかないかだったということを、あらためて気づかされた。
しかも、その数枚はみな新婚当初のもので、ここ最近のものとなると皆無に近い。
さすがに、披露宴の時の写真を飾るのは、いくらなんでも気が引けるし、恥ずかしいし。

そこで長男が、PhotoShopという写真加工ソフトを使ってPCで「夢の(幻の?)2ショット」を実現してくれた。

元の写真は、おととしの秋、イギリスから留学生(高校生)が短期ホームステイに来た時、彼を間に挟んで3人で記念撮影した時のもの。こういう機会がないと、めったに2人一緒にフレームに収まることがない。
(ちなみに、その年の春には長男が向こうの家にお世話になっている)

その留学生の彼には申し訳ないけれど、この際とりあえず消えていただいて、晴れて夫婦の2ショットとして生まれ変わった写真が↓コチラ。

100424b.jpg

留学生の肩に回していた私の右腕は、こうして妻の肩に回され、なんとも良い感じの2ショットになった。
この写真、「事実ではない」けれど、いつもこんな感じで仲良くくっついていたので、「真実」ではあります。

夫婦の時間/想い出 | 【2010-04-24(土) 23:51】 | Comments:(5)
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ラッキーとの思い出 【2010-04-26(月) 22:43】
昨日(日曜日)は、2男+3男+母+ラで病院に行った。
私以外は転院してから初めての面会。
(長男は転院の時に行ってるので、今日は自動車学校で仮免教習中)

まだ少し熱があるので、あまり動かしたりできなかったけれど、それでもいろいろ母子の会話?ができたらしい。
まあ、妻がちゃんと意識がある頃から、この2人とは会話が成り立っていたかどうか微妙なので、意識障害も大した問題ではないのかもしれない。

残念ながらラッキーは病院には入れない。
車椅子で妻を外に連れ出せたら、ちょっとだけでも引き合わせてみたいと思っていたけれど、残念。

というわけで、ラッキーは病院のすぐ近くのドッグラン(イヌを自由に放せる所)で遊ばせた。

100425a.jpg

100425b.jpg

私が病室にいるときは、子どもとおばあちゃんがドッグラン、子どもたちが病院にいる時は、私がドッグランというように交代しながら。

100425c.jpg

久しぶりのドッグランで、ラッキーも大喜び。

100425d.jpg

妻が元気な頃は、週に1回ぐらいのペースで、近くのドッグランに行っていた。

今日は、その時の動画をUPしてみました。

なんだか、ラッキーのほうのブログ「ラッキーの里親日記」みたいになってきた・・・

ラッキーのこと | 【2010-04-26(月) 22:43】 | Comments:(5)
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久し振りの笑顔が見えた日 【2010-04-29(木) 21:18】
久し振りに気持ちよく晴れた1日。
TA夫妻とGさんがわが家に来てくれたので、TAさんの車に便乗して4人で面会に行った。

心配していた熱も微熱程度まで下がり、落ち着いている様子。
Gさんが持ってきてくれたオシャレな箱に入った花を飾ったら、それだけで部屋全体が少し明るくなった感じがした。

100429a.jpg
(手前は2男が折ったバラの折り紙)

100429b.jpg

TA夫人と、妻のことをあれこれ話していたら、Gさんが、「あれ、いまJさん(妻の名前)笑ったよ」と言った。
よく見ると、いつになく少し顔が楽しそうな感じに見えた。

話の内容は、こんなことだった。

――パソコンの操作を何度教えても妻は「私は、アタマワルイから覚えられない」と言いつつ、ニンジンやネギ、肉、魚等の安値はほぼカンペキに記憶していて、何曜日にどの店で買い物するべきか、5~6軒の店を驚くほど効率的に使い分けているということ。パソコンの操作はそのつど横にいる夫に聞けばいいから、覚える必要がなかったこと、などなど――

「ほんと、初めて見る表情だね」と私。

「いや、さっきはもっとハッキリと口角が上がって、笑顔になっていた」とGさん。

「Jさん! いまアナタのことを褒めていたのよ」とTA夫人。

すると、ほんとに口の端が上がり、笑っている顔になった。

久し振りに見る妻の笑顔。心が震えた。

「こういうの見ると、ほんとにこっちの話が分かっているような気がするね」と私。

「分かっていると思う。だって、ちょうどそういう話をしている時に笑ったから」とGさん。

「あなたほど愛された女性はめったにいないよ」と、妻の脚をさすりながらTA夫人が言った。

少し照れるけれど、私は自信をもってその言葉に領収印を押せる。

     *

今日は、ネット通販で買ったオーディオシステムを設置してきた。

100429c.jpg

iPodを直接装着して、そのままPLAY・充電できて、コンパクトに使えるというもの。

今まで強制徴用していた3男のスピーカーは、3ヶ月ぶりに本人の元へ帰還ということになりました。

安定期/リハビリ | 【2010-04-29(木) 21:18】 | Comments:(2)
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