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ラッキーパパ

Author:ラッキーパパ
向日葵のように明るかった妻が突然倒れました。5人の子どもたち(T:18、Y:16、K:13、ラッキー:犬1…全員♂・年齢は当時 2016年より猫1が参加)と共になんとか生きています。詳しくは「はじめに」で。

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母となった日・父となった日 【2011-01-13(木) 22:40】
今日は、長男の誕生日。

妻が母に、私が父になった日。

19年前の1月13日は月曜日だった。

里帰り出産で、妻は実家のある新潟にいた。

陣痛が始まったのは、たしか1月10日(金曜日)の夕方ごろ。

入院の知らせを聞いた私は、仕事を早めに切り上げて、新幹線で東京から新潟に向かった。

予定日の7日は過ぎていたし、この土日あたりに生まれてくれれば立ち会うことができると期待していたら、その通りになり、生まれる前からなんて親孝行な子だろうと思った。

急がないともう生まれてしまうかも知れないと思うと、時速250Kmで疾走する新幹線もノロノロ運転に思えて、気が焦った。

携帯電話など、影も形もない時代。もちろん、メールで連絡なんてこともできない。

急いで産院に駆けつけると、妻はことのほか穏やかな様子…。

「陣痛、弱くなっちゃった。もう少し時間がかかりそう。ゴメンネ」と、妻は笑った。

「ああ、でも間に合ってよかった。もう生まれているかと思ったから」

     *

結局それ以降、陣痛はどんどん弱まり、翌11日になっても全く生まれる気配なし。

12日昼、やはり変化なし。

夕方、変化なし。

翌13日(月曜日)は朝10時からどうしても抜けられない打ち合わせがあったため、私はそろそろ帰らなければと思っていた。

夜7時頃。寂しそうな不安そうな妻の顔に帰るに帰れずにいると、「あ、来た!」と妻がお腹を押さえながら言った。

どうやら陣痛が始まったらしい。

1時間ぐらい経っただろうか、痛みは次第に強まってきていた。

私は妻に言われるまま、背中をさすったり、水を持ってきたり、オロオロしていた。

看護士さんたちが余裕な感じなので、ちょっとムッときた。

苦しむ妻と、生まれ来る子どもへの期待と、何もできないことへの苛立ちと、迫る終電時刻への焦りなどで、頭の中がぐるぐるしていた。

そうこうしているうちに、いつの間にか終電のタイムリミットは過ぎて、もう帰れなくなってしまった。

こうなった以上は、翌朝の始発に乗り、直接打ち合わせ場所に行くしかないと、腹をくくった。

子どもが生まれ、妻が母となり、私が父となる、その時その場所に共にいたい、ずっとそう思っていたから。

それからも、陣痛は弱まったり、強まったりを繰り返したけれど、なかなか決定的な状況には至らぬまま、時が過ぎていった。

3日間続いたお産で、妻は、精神的にも肉体的にも、もう限界だった。

「お願い、帝王切開にしてもらって」と、ずっと、自然に生みたいと言っていた妻が、そうもらした。

「わかった。ドクターに相談してみる」

妻のようすを説明しながら、私は別室でドクターに帝王切開の是非を打診した。

するとドクターは「それは最終手段にしましょう。赤ちゃんの心音はとてもしっかりしていて元気です。自然に生まれたがっているようです。お母さん、もう少しがんばれるように励ましてあげてもらえませんか」と言って、真剣に笑った。

「わかりました」
自然分娩のほうがハイリスクなのに、自らのポリシーに従ってそう判断した若いドクターを、私は信じようと心に決めた。

とは言っても、私はただ決意するだけで、実際に苦しむのは妻だった。

「T(男の子と分かっていたので既に名前を決めていた)は、自然に生まれたがっているって。元気だって。だからもう少しがんばろう。一緒にいるから」そう言って私は妻を励ました。

「もう限界だって言ったのに! お願いだから、早く切って出してもらってよ!」――私があまりに気軽に「がんばろう」なんて言うものだから、妻は怒って、どなるように私に言った。

それでも私は、ただただ、背中をさすりながら励ますしかなかった。

すると、日が13日に変ったあたりから、急に陣痛が強まり、いよいよ分娩台に移動することになった。

分娩室。

私は、妻の頭のほうに立ち、苦しむ妻の手を握り、頬をさすり、「ヒ、ヒ、フーッ」と、呼吸法のリズムを一緒にした。

目がうつろになりながらも、私と一緒に呼吸法を繰り返す妻。

妊婦教室で聞いてきたあと、一緒に練習した「ヒ、ヒ、フーッ」

「もう、頭が見えて来ましたよ」――看護士さんが言った。

その声で、妻は生き返ったように、目に輝きと自信が戻ってきた。

「もうすぐ、パパになるね」と妻が言った。

「あなたも、もうすぐ、ママだね」

1992年1月13日0時52分。

苦しみや喜びや感謝や感動が交錯するなか、妻と私の長男が生まれた。

じつに3日間に及ぶ難産だった。

出産に立会い、女性・母の偉大さ、生命誕生の素晴らしさを知った。

すべての人が、もちろん私自身も、こうして命懸けで神聖な儀式を経て生まれてきている。

ほんとうにほんとうに、すごいことだと思う。

     *

記念すべきこの日、妻の所にいけなかったのが、少し残念です。


人気の記事 | 【2011-01-13(木) 22:40】 | Comments:(0)
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