母親不在の誕生パーティ 【2010-01-21(木) 23:15】
「最も危険な状態からは脱出できた」と感じたのは、手術の翌日(17日・日曜日)のこと。
集中治療室で昏睡状態にはいるものの、激しかった呼吸がずいぶん静かになってきたときでした。
その日は、長男の試験2日目も終わり、ほんの少し心を落ち着けることができました。
じつは、1月13日が長男、翌14日が3男の誕生だったのですが、15、16とセンター試験なので、妻は16日の日曜日の夜に盛大に誕生パーティをやろうと計画していました。
そのためにケーキ作りのためのスポンジや生クリームなどを買い込んであったのです。
T夫妻は、その材料を使ってケーキや豪華な食事を作り、最高の誕生パーティを演出してくれました。
3男は、「母さんがこんなときだから」と、楽しみにしていたパーティをあきらめていたけれど、T夫人の「あなたのお母さんなら、きっとやってあげてほしいと思ってるよ」という言葉に安心したようです。
それはそれは、例年になく楽しい盛大なパーティでした。
あとで妻が意識を取り戻したら見せてやりたいと思い、私はその様子を動画に撮りました。
「私が意識不明の重体のときに、こんなに楽しそうに・・・」と、悔しがらせたいと。
集中治療室で昏睡状態にはいるものの、激しかった呼吸がずいぶん静かになってきたときでした。
その日は、長男の試験2日目も終わり、ほんの少し心を落ち着けることができました。
じつは、1月13日が長男、翌14日が3男の誕生だったのですが、15、16とセンター試験なので、妻は16日の日曜日の夜に盛大に誕生パーティをやろうと計画していました。
そのためにケーキ作りのためのスポンジや生クリームなどを買い込んであったのです。
T夫妻は、その材料を使ってケーキや豪華な食事を作り、最高の誕生パーティを演出してくれました。
3男は、「母さんがこんなときだから」と、楽しみにしていたパーティをあきらめていたけれど、T夫人の「あなたのお母さんなら、きっとやってあげてほしいと思ってるよ」という言葉に安心したようです。
それはそれは、例年になく楽しい盛大なパーティでした。
あとで妻が意識を取り戻したら見せてやりたいと思い、私はその様子を動画に撮りました。
「私が意識不明の重体のときに、こんなに楽しそうに・・・」と、悔しがらせたいと。
発病~急性期
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【2010-01-21(木) 23:15】
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