想い出のサラ・ブライトマンを 【2010-01-24(日) 23:58】
今日は、T夫妻がまた熱海から来てくれました。
Tさんの料理の腕はお世辞抜きでかなり上位のプロ級。
子どもたちは大喜びで、病院で昏睡状態を続ける母のことをよそに、おなかいっぱい平らげました。
その夜、T夫妻と一緒に病院に行き、音楽が聞けるように、看護師さんにお願いしてiPodと小さなスピーカーを置かせてもらいました。
曲は妻の好きだったサラ・ブライトマン。
去年の春、夫婦で武道館のライブに行った時の想い出の曲をいっぱい詰めて、エンドレスで流れるように設定してきました。
* * * (ここからは、昨日の日記からの続き)
病院での救急治療中は、不安と、きっとたいしたことないだろうという憶測が交錯。
何が起こっているのか、よく分かっていなかったような気もします。
ドラマのワンシーンを見ているようで、現実感がない。
長男と2男のケータイに何度か電話したけれど、きっと授業中なのか、出てくれず。
3男の中学校に電話して、すぐに自宅に帰るように伝えてもらう。
病院に運ばれてから30分くらいして、ようやく私はドクターに呼び出された。
「ご家族は?」と聞かれ、「子どもが3人います」というと、「すぐに呼んでください」と。
きょとんとしていると、「そういう状況であるということです」と、脅迫するような口調で急がされた。
そうこうしているうちに、やっと長男のケータイがつながり、もうすぐ3人とも、家に集まれるということになりました。
そこで私の心をよぎったのが、またラッキーのこと。
妻が危篤状態というのに、同じくらいイヌのことが心配だったのです。
というより、妻のほうは私にはどうすることもできないのだからドクターに任せるしかない。
でも、ラッキーは私がなんとか守るしかない。
ラッキーは、妻がわが子と同じように可愛がっていたイヌ。
ラッキーを守ると、妻も助かる・・・そんの訳の分からない無茶苦茶なリクツが頭の中を駆け巡り、混乱状態になっていました。
結局、ラッキーをまたケージに閉じ込め、子どもたち3人はバスに乗り、病院に来て、合流しました。
妻が一命を取りとめ、病室に運ばれているあいだ、私たちはドクターから「右の脳なので、左半身は動かなくなります。言葉は戻る可能性はあります。」というような状況説明を受けました。
MRIの画像を見ると、右の脳から出血していました。
しばらくして、やっと病室で対面することができました。
その日の朝まで、普通に元気だった母親が病院のベッドの上に横たわっている。
意識はあって、右半身は動いているけれど、目は閉じたまま。こちらの話は理解している感じだけど、言葉を話すことはできなかった。
子どもたちは、私以上に現実感がない感じ。とくに3男は、「今日の夕食はどうするの?」というようなことを言っていたし。
右手を握ると、思いのほか強く握り返してくれたので、少し安心。
長男が、「明日のテスト、がんばるよ」と言うと、より一層強く握り返したようです。
それで、「ゼッタイ合格してみせるから!」と、涙ながらに言っていました。
とにかく、長男の試験もあるし、妻のことは病院に任せて家に帰ろうということに。
それに私も、入院のための買い物をする必要がありました。
しかし、やはり一番気がかりだったのは、ラッキーのこと。
早く家に帰り、ラッキーを抱きしめてあげたい。そんな気持ちでいっぱいでした。
家に着くと、ラッキーは、硬いケージのロックを破り、脱出していました。
歯ぐきには少し血がにじんでいました。
かわいそうに。
しばらくラッキーを抱きしめ慰めたあと、私はまた買い物を済ませ、病院に行きました。
そのときは、まだ妻は私の話をしっかりと受け止め、最後にバイバイというと、右手を振ってくれたっけ。
「ああ、きっとだいじょうぶ」――帰り際、私はそう思ったのです。
しかしそれ以来、今日まで、妻とのコミュニケーションは絶たれたままになってしまいました。
Tさんの料理の腕はお世辞抜きでかなり上位のプロ級。
子どもたちは大喜びで、病院で昏睡状態を続ける母のことをよそに、おなかいっぱい平らげました。
その夜、T夫妻と一緒に病院に行き、音楽が聞けるように、看護師さんにお願いしてiPodと小さなスピーカーを置かせてもらいました。
曲は妻の好きだったサラ・ブライトマン。
去年の春、夫婦で武道館のライブに行った時の想い出の曲をいっぱい詰めて、エンドレスで流れるように設定してきました。
* * * (ここからは、昨日の日記からの続き)
病院での救急治療中は、不安と、きっとたいしたことないだろうという憶測が交錯。
何が起こっているのか、よく分かっていなかったような気もします。
ドラマのワンシーンを見ているようで、現実感がない。
長男と2男のケータイに何度か電話したけれど、きっと授業中なのか、出てくれず。
3男の中学校に電話して、すぐに自宅に帰るように伝えてもらう。
病院に運ばれてから30分くらいして、ようやく私はドクターに呼び出された。
「ご家族は?」と聞かれ、「子どもが3人います」というと、「すぐに呼んでください」と。
きょとんとしていると、「そういう状況であるということです」と、脅迫するような口調で急がされた。
そうこうしているうちに、やっと長男のケータイがつながり、もうすぐ3人とも、家に集まれるということになりました。
そこで私の心をよぎったのが、またラッキーのこと。
妻が危篤状態というのに、同じくらいイヌのことが心配だったのです。
というより、妻のほうは私にはどうすることもできないのだからドクターに任せるしかない。
でも、ラッキーは私がなんとか守るしかない。
ラッキーは、妻がわが子と同じように可愛がっていたイヌ。
ラッキーを守ると、妻も助かる・・・そんの訳の分からない無茶苦茶なリクツが頭の中を駆け巡り、混乱状態になっていました。
結局、ラッキーをまたケージに閉じ込め、子どもたち3人はバスに乗り、病院に来て、合流しました。
妻が一命を取りとめ、病室に運ばれているあいだ、私たちはドクターから「右の脳なので、左半身は動かなくなります。言葉は戻る可能性はあります。」というような状況説明を受けました。
MRIの画像を見ると、右の脳から出血していました。
しばらくして、やっと病室で対面することができました。
その日の朝まで、普通に元気だった母親が病院のベッドの上に横たわっている。
意識はあって、右半身は動いているけれど、目は閉じたまま。こちらの話は理解している感じだけど、言葉を話すことはできなかった。
子どもたちは、私以上に現実感がない感じ。とくに3男は、「今日の夕食はどうするの?」というようなことを言っていたし。
右手を握ると、思いのほか強く握り返してくれたので、少し安心。
長男が、「明日のテスト、がんばるよ」と言うと、より一層強く握り返したようです。
それで、「ゼッタイ合格してみせるから!」と、涙ながらに言っていました。
とにかく、長男の試験もあるし、妻のことは病院に任せて家に帰ろうということに。
それに私も、入院のための買い物をする必要がありました。
しかし、やはり一番気がかりだったのは、ラッキーのこと。
早く家に帰り、ラッキーを抱きしめてあげたい。そんな気持ちでいっぱいでした。
家に着くと、ラッキーは、硬いケージのロックを破り、脱出していました。
歯ぐきには少し血がにじんでいました。
かわいそうに。
しばらくラッキーを抱きしめ慰めたあと、私はまた買い物を済ませ、病院に行きました。
そのときは、まだ妻は私の話をしっかりと受け止め、最後にバイバイというと、右手を振ってくれたっけ。
「ああ、きっとだいじょうぶ」――帰り際、私はそう思ったのです。
しかしそれ以来、今日まで、妻とのコミュニケーションは絶たれたままになってしまいました。
発病~急性期
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【2010-01-24(日) 23:58】
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